今日が、愛猫ゆめの四十九日です。
…って打つだけでなんだか泣きそうになるものですね😢
うちには我が家に馴染みつつある「次女」がいるけれど、ゆめロスは緩やかに続いてます。
思い出して笑顔になることも、涙が出ることもどちらもあります。
これを機会にゆめのこと、書いてみたいと思います。
知っていただくことで、また別の形であの子が生きれる感じがするから。
ゆめと出会ったのは2015年の春か初夏です。
前の家に住んでた頃、よく夫と静かな深夜に散歩してました。
二人共、猫が好きでいつか飼いたいと思ってたけど、すぐにでも、というほど急いではいませんでした。
(私は実家で飼ってた経験あり、夫はナシ)
あるアパートの駐車場を通りかかった時、二匹の成猫が鳴きながら現れたのです。
なつっこいキジトラと、そして…よく鳴く長毛。
どっちも人馴れしてたので、私達はいっぱいナデナデして楽しみました♪
(暗くてブレるのと、スマホを持ってなかったため、この頃の写真はあまりありません…)
それからそこを通ると必ず二匹は現れるようになりました。
よく見ると、植え込みのところにそっとゴハン皿が置かれてるのが見えました。
誰かがゴハンをあげてるようです。
またある時は、二匹を微笑ましそうに見守るおじさんの姿がありました。この方が、ゴハンを?
駐輪場には「野良猫が増えてます」「餌をあげないで」といった張り紙が多数ありました。
だからこんな深夜にコッソリあげているのかもしれません。
その頃の私達は猫リテラシー(なんだそれ)が低く、TNRという言葉すら知らなかったと思います。
なので色々深く考えることは無かったのですが、なんとなくいけないことなんだという認識で、ゴハンをあげることはありませんでした(あげてる人もいるみたいだし)
きっとこの二匹が懐っこかったのは、ゴハンをあげる人がいつもこの深夜の時間帯に来てたから、ゴハンを貰えると思って寄ってきてたのだと思います。
(↓上段の写真の上の方にキジトラもいます)
そのうち、ゴハン皿は見かけなくなりました。
代わりに、一部のスペースに地面に直にたくさんカリカリが撒かれるのを見かけるようになりました。
お皿であげてた人とは違う人かもしれません。
なんにしても、さすがにこれは良くないのでは…。時には雨水を吸って湿るカリカリ。
かと言って、何も出来ない…というより何か本気でしようという気もない私達。
ただただ、散歩で寄っては猫を撫でる、そんな感じでした。
名前をつけると情が湧いて連れて帰りたくなってしまう。
だけどウチはペット不可の賃貸。
でも識別のため、私は長毛のほうを「ゆめねこ」と呼ぶようになりました。
猫型オモチャ「ゆめねこ」に、顔の印象が似てると感じたので^^;
(実際ググったらそんな似てなかった…。強いて言うなら鼻が長めなところ?)
「『ゆめねこ』の方、そこにいるで~」みたいな感じ。
ある日、現れた二匹のうち、キジトラがテンション低くいつもほど甘えず、地面にお腹をつけて座ってました。
それ以降、キジトラを見かけることはなくなりました(;_;)
すると、ゆめねこはキジトラの分まで(?)甘えるようになりました。
スリスリしてくるキジトラと、鳴く「ゆめねこ」の分担だったのが、「ゆめねこ」がスリスリ&鳴くの両方をこなすようになったのです。
「ゆめねこ」に会うため深夜の散歩は続きました。(毎日じゃないです、2,3日に一度くらい)
ある日、この「ゆめねこ」も見かけなくなりました。
誰かが拾って、幸せになったのかもね、そういうふうに考えました。
でも、数日後また現れるようになりました。
散歩は深夜だったので、すぐには気づきませんでしたが、その後よく見ると「ゆめねこ」の耳の先は僅かにカットされていました。数少ない過去の写真を見るとカットはありません。
どうやら彼女はTNRされたようです。
(この頃やっと私達は「TNR」という活動をネットで見て知ります)
そして、猫が「ゆめねこ」だけになった頃から、私達は自然とこの子のことを「ゆめ」と呼ぶようになりました。
「ゆめねこ」を略しただけ。でもそれは名前でした。
だからというわけではないけど、やっぱり情が湧いてしまいました。
TNRの時のことがトラウマになったのでしょうか?
ゆめは警戒心が強くなったように見えました。
かわいがってる時でも、ほかの人や車が通りがかると怖がったり隠れようとしたりするようになりました。
ちょっとした事でビク!とすることも増えました。
でも、もしゆめが妊娠したら不幸な猫が増えてしまうし、ゆめ自身の体力も心配だから…。
必要な処置だったんだよ。
いつの間にか、ゆめは私達以外は怖がる猫になったようでした。
やがて、ゴハンが撒かれるのを見かけることはなくなりました。
そして、その頃から2日に一度、私達がゴハンをあげるようになってしまいました。
このへんの考え方は色々だと思います…
TNRされてようと、ゴハンをあげるなら糞尿の責任まで持つべなのでしょう、やっぱり。
(ちなみに、マンションの向かいに雑草生い茂る空き地があって、おそらくそこをおトイレにしてたのでは)
しかし私達の意識は、糞尿の始末より「ゴハンをあげるからには、飼わなくては…」という感じでした。
やがてゆめはどこからか別の相方をスカウトし、生後半年くらいの子猫?とともに現れるようになりました。
が、しかしその子もすぐに見かけなくなりました。
(↑よく見ると、ゆめの耳がカットされてます。珍しく昼間に会いに行った時の写真)
またひとりになったゆめ。
そろそろ引っ越したい、というのもあったので、物件探しをして、ペット可の家を見つけました。
そして、一緒に暮らす猫はやっぱり「ゆめ」しかいない。
この子は私達が引っ越したら、きっとのたれ死んでしまう。
だって、ゴハンをあげる人がいるからこそ、自分で狩りもせず一日ほぼ同じ場所でじっと危ない目に合わないように&体力を使わないように生きてるのだから…。
その証拠(?)に、私達が正月4,5日里帰りして、約5日ぶりぐらいに行ってみた時、聞いたことのない必死な鳴き方で出てきて、たくさんゴハンを食べたから。
きっと5日間、何も食べてない…?
この子の命は私達次第なんだ、と思った出来事でした。
野良猫ゆめと出会って2年ほどがたっていました。
引っ越すタイミングでゆめをキャリーに(オヤツで釣って)入れて、確保。
そのまま動物病院に直行しました。
…今考えると、野良猫をいきなり連れて行っていいか事前にきいておくべきなのですが…。
病院に行く間もキャリーでパニックで鳴き続けるゆめ。
病院で事情を話しキャリーを開くと今度はシャーシャー祭り。
優しそうな若い獣医さんは「出してネットに入れてくれたら、診察できるんですけど…」と、ネットを手渡してくる。
しかしシャーシャーのゆめを、誰も出すことはできませんでした。
結局診察は出来ない、となってしまいました。
獣医さんは、「野良猫はエイズ・白血病の可能性があるけど、検査して陽性とわかっても、発症を抑えることは出来ないから、このまま検査しないのも手ですけどねー」…的なことを仰る。
そういうものか。だったらそれでいいか、と思う私達。
恐怖で威嚇するゆめの様子を見ながら、私達は今後もこの子は診察してもらえないんだ…と思いました。
でも、お外で何年も生きてたのだから、まあ大丈夫なんじゃないか…
このライトな意識とゆめの持ち前の健康への過信で、私達は「ゆめは病気にはならない」と思いながら、エイズと白血病の検査をすることなく飼うことになります。
雨の日も台風のあとも、体がずぶ濡れで冷たくなりながらも風邪ひかず元気だったゆめだから…。
もし今、野良猫を自分で保護して飼うことになれば、エイズ白血病の検査しないことには不安でたまらないと思います。
キャリアーならそれはそれで覚悟を持つことができるし。どちらも陰性なら大きな安心になる。
だけど、この時の私達は「信じてればだいじょーぶ!」という能天気思考だったのです…。
まあ、本当は真実を知るのが怖い、という気持ちが根底にはあったのですが。
とにかく、真実を知らず健康と思い込んだおかげで、私は発病に怯えることもなく、不安や心配無くゆめとの日々を過ごせたわけです…。
その分、発症してその致死率を知った時の衝撃は言い表せないものだったのですが。
大好きな子だからこそ、病気のリスクもしっかり把握しておくべきだったのです…。
(続く)
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