
私たちはできる事を行います。
しかし、私たちは
自分の奉仕活動の最終的な意味を理解することはできません。
生死の意味さえ完全に理解しているとはいえません。
だから、
あるレベルでは心を込めてかかわりますが
最終的には手放します。
私たちが持っているすべてを、すべてを与えます。が、あとは運命へ、自然へ、託します。
私たちにできることは、すべて行いますが
その結果が
私たちの望みどおりになってほしいという執着や
すべての命を救いたいという執着を
手放します。
手放す時
私たちの心は傷つくかもしれません
傷ついた心
。。。それもまた、手放すので
手放す行為も含めて、奉仕活動です
ラム・ダス
『 how can I help 』(平河出版社)

拝啓
ラム・ダス様
村のあちこちで金木犀の甘い香りがしています。すっかり秋めいた今日この頃、おかわりありませんか?
さて。ラムダス様、
私たちは手放す事が苦手です。
手放し方がわからずに
心が折れそうになってる方や
手放し方がわからずに
傷ついた心から離れられずにいる方が
たくさん存在すると思います。
奉仕活動でいちばん難しいのは
執着を手放す
という作業だと感じます。
自分のできる行いを心を込めてすべてやりとげたら、その行いへの執着を手放す
これができてこその奉仕活動
ラムダス様は『これができてこそ』と仰いますが、私たちは『これができる』ようになるまでに心が折れてしまうことの方が多いかもしれないのです。

私は無宗教者で信仰が深くかかわる
奉仕活動はしたことがありません。
ありませんが、でも
介護ボランティアの活動はしております。
ボランティア活動をするなかでも
心を込めて関わり、
来るべき時には自分の執着を手放すという行為はとても大事だと思います。
そして、1番、難しいのです。

信仰のもと奉仕活動をされてる方とちがい
ボランティア活動をされてる方は
ほぼ自身の倫理や概論で活動しているのです。
だから、活動しているなかで起こる様々な残念な状態や理不尽な場面に陥ったとき、傷ついたとき祈りや信仰では解決できないことだらけです。
その分、手放す事が苦しくなってしまいます。
ただ、自分のボランティア活動で繋がった笑顔も確実にあるという事実
これが、次のボランティア活動の活力になっているかもしれない
執着を手放せなくて、
心が折れそうになってる
ボランティア活動者や
心が傷ついて足踏み状態になっている
ボランティア活動者が

また、いっぽ前へ進み出せますように。
(自分も含めて。)
と、思う今日この頃です
ふみふみかしこ
やよなぎさ

ああ、朝日を浴びてナギちゃんの顔が光ってるわ
看取りがあった夜勤明けは気持ちが弱ってしまいます。
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