全てフィクションです
心理学者で哲学者
アルフレッド・アドラーの目的論を
ニャンニャン達の対話方式で学んでいきます

青年コッハが哲学者ニャギ先生を訪ねてきた。
以降『』←コッハの台詞【】←ニャギの台詞
『昨日、昼寝をしていたらヤヨナギがチュールも持たずに、爪切りだけを持って近づいてきました。そして昼寝をしている私に爪切りをしようとしたので思わず大声で怒鳴りつけてやりました。にゃっ!!とね。
普段の私は公の場で大声を出すことなどありません。しかし、昨日ばかりは怒りに我を忘れてしまったわけです。』
【つまり、君は怒りの感情に突き動かされて怒鳴ってしまった。普段は温厚な性格なのに怒りに抗することができなかった。自分にはどうすることもできなかった不可抗力だというのですね。】
『ええ。考えるよりも先に声が出てしまったのです。』
【では仮に、昨日のヤヨナギが右手に爪切り、左手にチュールを握っていたら、、、、はたして君は怒鳴っていただろうか。。。】
『そ、それは!!その場合は、、、』
【ふむ。その場合は爪切りを受け入れていた】
『むむ!!先生!チュールは極論です!!』
【極論ではありません。君の理屈を突き詰めると、怒りに駆られた行動は全てが“いかり“のせいであって、君の責任ではなくなってしまいます。何しろ怒りに我を忘れてと仰るのですから】


『じゃあ、先生は私が怒りのあまり怒鳴ってしまったことをどう説明するのですか!』
【簡単です。あなたは怒りに駆られて大声を出したのではない。大声を出すために怒ったのです。】
『にゃっにゃんですって!!』
【つまり、大声を出すという目的のために怒りの感情を作り上げたのです。昨日、君は怒鳴ることによってチュールを持参しなかったヤヨナギを屈服させて、爪切りをやめさせたかった。その手段として怒りという感情を捏造したんだよ。】
『捏造した?!そんな訳ありません』
【じゃあ、なぜ大声を出したのですか?】
『だから、それは怒りに我を忘れて』
【違います。わざわざ大声を上げなくても、爪切りが終われば必ずチュールが貰えることを君はちゃんと知っていた。
にもかかわらず、大声を出したのはその時すぐにヤヨナギにチュールを持参させるためだった。その目的のために怒りの感情を使ったのです。】
『怒りは、目的を達成するための手段だと仰るのですか?』
【人はすべての行動に目的をもっているのです】
『そんにゃ事、納得できません。
私は考えをめぐらせてから怒ったのではありません
怒りとはもっと突発的な感情です!!!』
【我輩は感情の存在を否定している訳ではありません。
みんなに感情はあります。
とても当たり前の事です。。。
しかしながら君が『我々は感情に抗えない存在である』と言うのであれば、
そこは明確に否定します。
我々は感情に支配されて動くのではありません。
我々は目的を達成するために動くのです。
つまり、目的論を理解することで、目的達成や問題解決などの手段が穏やかに生産的に効果的にかわってきます。
これが哲学の(目的論)の醍醐味なのです。】
『むむむ、今日は疲れたのでいったん引くとしましょう。ですが、私はまだ怒りについて納得してはいませんよ。明日、また目的論について議論しましょう、ニャギ先生』
【ええ。ええ。楽しみに待っていますよ】
次回
目的論から人間関係での衝突を回避する方法についてにゃんにゃん達が対話します
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