昨日の日記で「100万回生きたねこ」についてお話をさせていただきましたが、言い残したことがありますので、今日もこの話題で日記を書きます。
確かにこの絵本は名作であると思いますが、私にはどうしても腑に落ちないことがあったのです。
トラネコは誰からも愛されます。
王さま、船のり、サーカスの手品つかい、どろぼう、ひとりぼっちのおばあさん、小さな女の子、地位や名誉、老若男女を問わずに誰からもネコは愛されるのです。
みんな、ネコが死んでしまうと泣きます。
大声で泣いたり、一日中泣いたり、非常に悲しみます。
恐らくは絵本のタイトルからして、999,999人の飼い主がネコとの別れに、泣いたことでしょう。
この人たちの悲しみは救済されたのでしょうか?
飼い主とネコの関係は、一方通行の愛、片想いです。
むしろ、トラネコは飼い主が嫌いなのです。
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トラネコは100万回目に、シロネコによって救済されます。
たくさん愛したそれまでの飼い主は、ただただ悲しんで、この絵本は終わってしまったら飼い主は救われないのではないのか?
これでは、クロノスとマーベルの飼い主である人間の私は、納得がいかなかったのです。
何度かこの絵本を読み返しました。
そこに作者の思いがこめられた部分がありました。
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シロネコが死んで、トラネコが愛に目覚めて号泣する場面です。
オペラなら、クライマックスです。
抜粋してみると
ねこは、はじめてなきました。
夜になっても、朝になっても、また 夜になって、朝になって、ねこは100万回もなきました。
朝になって、夜になって、ある日のお昼に、ねこはなきやみました。
ねこは、白いねこの となりで、しずかに うごかなくなりました。
トラネコはシロネコが死んで泣きます。
はじめて泣いた1回目は、シロネコのために泣いたのです。
愛に目覚めたトラネコは、続いて、今までの飼い主を回想しながら、一人一人のために、999,999回も泣いたのです。
最後の100万回目は恐らく最初に登場する王さまを思って泣いたのでしょう。
そして静かに息を引き取ります。
このように考えると、100万回泣いたことは、飼い主へのトラネコの贖罪としてとらえることができます。
作者はトラネコと人間との関係性もきちんと絵本の中で解決させているのですね。
すっきりしました。
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親父さま、ワタシは親父さまのこと愛してるわ。
親父さまがいなくなったら、ニャーニャー、ワタシは大声で泣いちゃうわよ。
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親父さん、愛ってなーに?
愛っておいしいの?
よく分からないけど、ボクは親父さんのこと、大好きなのさ。
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ありがとうね。
クロノスくん、マーベルちゃん。
🤣😸😸
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