
昨年の12月20日、最愛の愛猫みけこが虹の橋を渡りました。
2月6日、49日をむかえたのでまだ気持ちの整理もできてるようで出来てないのですが、ここに報告させてもらいたくて。
ぶっちゃけ、49日が近付くまでの間、みけこをおもって泣く日は本当に自分でも信じられないほど少なかった。
なんでなのかは分からない。死を頭で理解してるし、火葬も骨あげもむぎちゃんやぐぅちゃんの時と違ってどこか淡々としてる自分がいた。理解してるのにどこか現実感のない。ぼんやりした感じ。
でもたまにワァアアアっと感情が爆発する。その時は号泣するんだけど、それが済んだらまたぼんやり…
無意識にみけこのことを考えないように思考が働いてるのか泣きたくない、死を理解してるけど考えまいとしてるのか
うまく言葉にできないけど、そんな感じで49日が近づいてきて、なぜかソワソワ落ち着かなくなって
みけこがむぎちゃんと同じように50円二枚握りしめてもうすぐ天国にいくんだ…
そう思ったら途端に寂しさやら悲しみ、最後の最後に一時間寝落ちしてしまったときに一人旅立たせてしまったことの後悔が止まらなくなって泣いた。

天国なんてみたことないし、虹の橋だってみたことない。神様なんてあったこともなければ声すら聞いたこともない
だけど願ってしまう。祈ってしまう。
どうかみけこが病に蝕まれた肉体から解放されて、痛みも苦しみもない世界で安らかにすごせますように。
先にいったむぎちゃんと本当に仲がよかったから、この先寂しくなくずっと二匹で仲良くすごせますように。
最後の時を迎える数日前からぐぐっと食欲が落ちて、マグロの刺身半分食べたっきりだったから
今はお腹いっぱいたべられるようになってますように

それから、私とみけこはずっとずっと一緒だったから、私がそばにいなくても大丈夫でありますように
本当は私がみけこがいないとダメなんだけど
私が何よりダメなんだけど。
いつか私がみけこのそばにいけるまで、それまでどうか神様…って
会ったこともないのにね、宗教だってよく分からないのに
それでもどうか…って祈ってしまうんだ。

みけこが亡くなって、私が泣き出すと、しまじろうがよってきてグルグル甘えてきたり、何かやらかしてくれて、私の沈んだ気持ちを和らげてくれます。
ふだんは相変わらずやんちゃで、遊びに火がつくとカミカミけりけり攻撃ばっかしてくるし
私がごはんをあげたあと、別の家族に「ごはんまだですけど?」っておねだりしにいったり
本当に自由きままでちゃっかりしまじろうなんですけど
なんとなく飼い主が元気がないってしまじろうなりにわかってくれてるのか本当に救われてます
ありがとう。しまじろう。
そんなしまじろうも去年の12月に去勢手術も無事終えて今日も元気にすごしてます。
おはぎともなかもこのはも相変わらず元気。甘えてきたり、ケンカしたり、大運動会したり、呼んでもこないときもあるけれどね、笑
まだまだみけこに対して整理できない気持ち、言葉にしたい気持ち、言葉にできない気持ち
本当にたくさんあるけれど
49日をむかえたので、その報告として書きました
みけこ。長い間本当にがんばったね。がんばってくれて本当にありがとう
あなたのその茶色と白と黒と濃い茶色の配色バランス。
片目だけ黒のアイラインがはいったまんまるどんぐりまなこ
心肥大で肺水腫が進行してても、ギリギリまでしっかりごはんをたべてた食いしん坊なところ
私がひとりで静かに泣いてても、気付いてかけよってきて泣きやむまでそばにいてくれる優しいところ
そしてやわらかくてモフモフフカフカで本当にいい匂いだったその身体
お口だけはくさかったけどね、笑
それでもあなたの全部が本当に大好きで
あなたは猫と人間っていう境界をこえた、私の唯一無二のパートナーです。
またあなたに会えますように。
またあなたと暮らせますように
あなたの体に顔をうずめて眠りに落ちて…そして目覚める日々をまたいつか迎えられますように
