普段はほとんど話をしない人ですがたまたま近くに来たので、思いきってハチくんのことを聞いてみたんです。
「あの子のことは気になっていた、でも自分のところには高齢の猫がいて連れ帰るのは無理、死んじゃったら火葬場に連れてくくらいはしようと思ったいた」と話していました。
それぞれの事情はあるので、できることできないこともあるのはわかります。
それは仕方ないこと。
でもその後に言われた言葉が気になりました。
「カリタさんは先週から気になってたんだよね?私が気になったのは今週からだから」
→ハチくんの力になってあげるのって早いもの勝ちなの!?
「うちは年寄りの猫の介護があるから無理!」
→誰も保護してとは言ってませんけど。
「カリタさんちはちゃんとしてるから大丈夫だと思う」
→我が家の何を知ってるの?
「あの子このままだと、数日で死んじゃうと思う」
→何それ!?脅し!?
極めつけは・・・
「私は何も力になれないけど、お見舞いくらいは出すからさ、ちょっとした額になっちゃうけど」
→まだ保護するとは言ってませんけど!
「いやぁよかった、あの子を気にしてくれる人がいて」
→だからまだ保護するとは言ってませんけど!
この人がハチくんをカリタに何とか保護させようという考えだけは伝わってきました。
ハチくんを保護した後折に触れ様子を聞かれるので、簡単に説明はします。
「やっぱり・・・あのままじゃ死んじゃうと思った」
「よかった、私は何もできないから・・・ありがとう」
なんて言われるけど、カリタは心の中で「お見舞いは!?」とツッコミ入れてます。
もちろんお金がほしいわけじゃありません。
自分が何もしないのに、他人にそれをさせるためにできもしないこと(お見舞いを渡す)を言い出し、結局それすらもしないのが嫌です。
そのうえ「ありがとう」とは何ぞや!
あなたに言われたからハチくんを連れ帰ったんじゃありません!
自分の気持ちのままに動いた結果です!
こういうのを経験すると、いくら猫好き(動物好き)と言っても、自分ができないことはスルーする勇気も必要かな?と思ってしまいます。
保護とか寄付とか協力とか、できるできないが50:50で悩んでるならわかります。
0:100でできないなら、他人に対しどうこういうのではなく、「黙っている」のがベターではないでしょうか?
ましてこの人のように、さして親しくもない相手にお金のことまで持ち出して何とかさせようとするのは、他人を利用してると思われても仕方ないでしょう。
みんなそれぞれの事情を抱えているので、保護するのが当然でしょう、あなた寄付しないの!?、(できもしないことを)協力するよ、なーんて軽々しく言うことはしないようにしよう。
また自分が何かをするときは、それを本当に自分ができるのか、続けられるのか、責任を持てるのか、しっかり考えてからにしよう。
改めてそう思いました。
もちろん目の前に弱ってる猫がいたら保護するのが一番でしょうけど、大風呂敷を広げて、なおかつそれを他人任せにしてはいけないという話です。
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ハチくんの黒い毛、このくらいツヤツヤにしてあげたいなぁ。
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