少しの間、ネコジルシで日記を書くのをご無沙汰しておりました。
その間にメッセージなど頂き、お気遣いを頂きまして、ありがとうございました。
今月、どうしても日記に書きたいことがあり、日記を書き始めました。
それはまた後日書かせていただきます。
今日は最近の我が家の近況などを少しお伝えできればと思っております。
最近また病院に通院する子も出てきまして、いまはまた毎日通院中です。
その子は検査の結果膵臓が悪いようで、いまご飯があまり食べれないので点滴や何とかご飯が食べれるよう治療中です。
普段なら抱っこも出来ず、本気で噛み、それは歯が通るほどの力で噛みます。
ですが今はそんな力もなく大人しく通院している事が悲しいと思えるのです。
時々、猫を飼うなら保護猫をという優しい方がおみえですが、それができる方とできない方がみえると思います。
我が家の猫たちの中には個性的な性格でおそらく我が家しか無理だろうと思う子もたくさんいます。
今はみんなだいぶ変わり、問題なく過ごしています。しかし、その今になるまでの月日はその子その子で違い、長い子で10年近く関係性が変わらなかった子もいます。
すぐに慣れる、すぐに普通に暮らせるとは限らないということです。
触ることも、抱っこすることも、遊ぶことすらできず何年も過ごすかもしれません。
一緒に暮らしていても、楽しいと思えることがないかもしれません。
一生関係性が変わらなくても、変わらず愛せるかどうか?
保護猫だけでなく、猫と暮らすということはそういうことなのかも・・・・と私は思うのです。
私はたくさんの猫と暮らしていますが、ちゃんとしたいい飼い主ではありません。
どちらかと言うと、大雑把な飼い主です。
猫たちには好きな物を食べさせています。
食べたい!と思う欲がいざと言うときには力になると思っているからかもしれません。
命を終えるそのときまで、食べたい欲があれば復活できることもあります。
私が猫と暮らし、猫に求めるものは、猫自身が好きなように楽しく暮らすことです。
猫が幸せじゃないと、私も幸せじゃないし、仕事も頑張れません。
最後に、我が家の日常生活の黒猫大和と、紋次郎の写真を載せます。
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紋次郎、顔がお兄ちゃんになってきました。
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