愉快な話ではありません
身内との別れの事を書きます
なので、苦手な方はこのページを閉じて下さいませ(m´・ω・`)mペコ
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今日は姉の命日…
うちは昔から私の方が"姉"の役割をしてたのもあって小さい時から姉の事は名前で呼んでたので…
ずっと呼んできたその名前…"Mちゃん"で書きます(*- -)(*_ _)ペコリ
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昨年11月3日、私は田舎に帰った
胃癌と判明した母の手術に付き添う為に…
その足で11月1日から入院してる母の所へ行ったのだけど…
その際に仲のよい母方のイトコと待ち合わせ、話をする
卵巣癌と闘っていたMちゃんが…すでに「年を越せないかもしれない」と医師に云われたからだ…
母の手術の翌日に、Mちゃんを病院に連れていく予定だったので、イトコも有給をとってついてきてくれる事になった
母の様子を見た後、Mちゃん宅へ帰ったのだが…悲しくなった…
『本当に…もうこれで終わってしまうのか…』そう感じたからだ…
Mちゃんは居間のソファーに居て、なんとか生きようとしていた
すでにソファーとトイレがMちゃんの生活の全てになっていた
なんとかスープを何口か飲んだだけで食べる事も出来ない…
4日、母の担当医に話を聞き、5日の詳しい手術の話を聞く
Mちゃんちに帰って、なんとか食べられないかMちゃんの好きな中華あんもどきを出してみるが食べられない…
もう片付ける事も出来なかったMちゃんの居場所のソファーまわりを片付けていると「せっかく帰ってきたのに、お母さんとうちの事で大変やね…」と云うから、「遊びに帰ってきたワケやなくて、その為に帰ってきたんやからね♪」と云うと嬉しそうに笑う♪
Mちゃんは2階メインで住んでたので、「Mちゃん、テレビを持っておりようか?」と聞くと「いいそ。上に上がるようになる事が今の目標やけ~」と云う…
ただひたすらに…ソファーの上でなんとか楽な体勢を取るだけのMちゃんを見てると…涙が出そうになった…
5日、母の手術の付き添い
5時間の手術
先生に全摘した胃等を見せてもらう
予想よりも癌は深く進行していた…
6日、イトコが車を出してくれたので、Mちゃんのかかりつけへ行く…
人目を気にして、どんな時も頑張るMちゃんが…歩けないと云う…
車椅子に乗せる…
担当の先生が「菌が入ってるから入院した方がいい。外来処置だと朝夕来なきゃダメだから…」と云い、私も「お母さんの病院にも行かなきゃだから、朝晩連れてくるのは無理だから入院しんさい」と云って、渋々同意するMちゃん…
先生がMちゃんに気付かれないように『後で戻って来て』とコッソリ合図を送ってきた
Mちゃんを病室に連れていった後、先生の所へ行くと…
矢張り、どんな時でも家に帰りたがるMちゃんの性格をよくわかってくれてたからあんな云い方をしたそうだ…
もう、数値が限界を示してて…
この2~3日が山で、1週間…五分五分、11月を越せる事はほぼないだろう…と云う事だった…
もし今日外来処置しただけで帰ったら、恐らく夜中に救急車呼んで、お別れになった可能性が高かった…そうだ…
そんな状態なので、あわせたい人にあわせてあげるよう云われる…
入院する荷物を取りに戻らなきゃいけないので、いったん帰り、母の病院へ行ってから、Mちゃんが可愛がってる姪っ子を連れて再びMちゃんの病院へ…
まだなんとか普通に話せる時に姪っ子を連れていけて良かった…
7日、母の病院へ行ってから、Mちゃんの病院へ…
他愛ない話をしてる時に、「あの子達(姪っ子や甥っ子)が成人するまで生きたかった」と云っていた…
「お母さんやうちの為にラキちゃんも大変やね」ともまた云ってた…
10日、休日だったイトコが来てくれてMちゃんの家を片付ける
本当に…ただ生きるので精一杯で家の中が大変な事になってたので…助かった…
そして、せっかくの休みだったのに…運転手をしてくれるo(TヘTo) クゥ
母の所へ行き、互いに個室状態だったのをいい事に、母とMちゃんを電話で話させた
母が切る前に「お互い頑張ろうね」と云った時…涙が出そうになった…
その短い会話が…母とMちゃんの最後の会話となった…
Mちゃんの病院へ行き、その帰りに、イトコが「姉ちゃん、酷い事を云うと思うかもしれんけど、葬儀の事も…相談しといた方がいいよ。もしM姉ちゃんが死んだ時に姉ちゃんが大変な事になるのはわかってるからさ、話だけでも聞きにいこう」と、祖母の葬儀でもお世話になった所に連れて行ってくれた
もう…そう長い事はない事はわかってたので…イトコに助けられた…
私は疲れ果てて…頭がまわらない状態だったから…
11日、母の病院へ行ってからMちゃんの病院へ…
Mちゃんが、ふと…「ラキちゃんはラキちゃんで頑張っていき」と突然云った…
「私はそうして今まで生きてきたよ♪」と云うとMちゃんは笑ってました
Mちゃんが苦しそうにしてる姿を見ていると…『明日もまた逢いたい…』と思いつつ『どうか苦しませないで…』と願う…
13日、母の担当医から色々な説明があった
母は炎症を起こしてて重症…
だからMちゃんの事もその時が来てから…私が告げて、看護師さんにフォローしてもらう…と云う事になった…
Mちゃんの所へ行くと、吐き気止めが効かず、ずっと嘔吐…
何も食べてないので、ただ赤黒い液体だけが出てくる…
朦朧としてるのか、私に謝ったり、母やイトコに謝ったり、「もう嫌だ~!!」「私はこの癌に殺される!!」「殺して!!」と云う…
先生に説明を受けた後、看護師さんが慰めてくれた…
その後、病室に戻ると、「くそ~!!なんでこんな目に!!」「誰か助けて!! なんとかして!!」と云っていた…
背中を撫でたり痛い所を軽く叩いてあげたりしてると、少し良くなったのか…
ふざけるように「ありがとう」と云ったり「ラキちゃんのバカ~」と云ったりする…
その内に「負けないぞ~!!」「頑張るぞ~!!」と云い、「なんでこんな目にあわんといけんの!! むかつく!!」と云うから「ほんとや!! マジむかつくわ!! ふざけんなと云いたい!! なんで癌の奴はこんなに人を苦しめるんじゃ!! 親父もおじちゃんもおばちゃんも苦しめて…命奪って!! マジふざけんなや!!」とか…つい本気になって云ってたら、Mちゃんがキョトンとして…それから子供みたいに笑って…
二人でふざけるように文句を云いまくってました…
Mちゃんも私もベッドも吐いたもので濡れて…心底寒かったのを記憶してる…
震えがとまらなかった…
14日、母の病院へ行ってからMちゃんの病院へ…
寝ては苦しそうに息をし「痛い~」等と云う…
1度目を開けて「ラキちゃんか」と云っていたが、本当に認識してたかどうかわからない…
「誰か助けて」とあげた手を…私は握ってナデナデする事しか出来ないのが辛い…
15日、母の病院へ行ってから、Mちゃんの病院へ…
Mちゃんは私を見ても私の名前を呼ばない…
ずっと「疲れた~」「疲れたよ~」と繰り返している
最初の内は二人で、「疲れたね~」「疲れたよ~」とふざけて歌うようにしてたのだけど…
その後、目を開けては、ただ…「疲れた」と繰り返すので、「うん、寝んさい」と私も繰り返した…
先生は…重要な血管を守る為抹消の血管(足の裏)がしまってきていると云った…
私は21時頃、看護師さんがチェックしに来てから帰るんだけど、この日、看護師さんがチェックした時にMちゃんの血圧が下がった…
「帰らないで」と云われた気がして…泊まる事にした…
23時半頃…息が荒く、もう声に反応しなくなった…
16日、0時17分…
本当はもう少し前…Mちゃんは旅立ちました…
私は最初で最後のMちゃんのメイクをした…
あんなに変わり果ててたMちゃんが…
まるでうつむいて「(〃∇〃)エヘ♪」と笑ってるようないつものMちゃんの表情になった…
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昨年の今頃は…本当に辛かった…
母とMちゃんの病院は真逆の所にあったので、毎日、朝約40分位かけて母の病院へ行き、車の中で昼ご飯のサンドイッチを食べながら約67kmはなれたMちゃんの病院へ行き、約1時間かけてMちゃんちに戻る…
日頃そんなに運転しない私が毎日約140km運転…そんな生活で体も疲れ果てていた
でも一番心が疲れ果てていた…
母だけでも心配になる程重症だったのに、そんな中Mちゃんも…だったから…
私一人でMちゃんを見送らなきゃいけなかったから…
本当に…辛かった…
悲しかった…
苦しかった…
上記の日々の事をどんなに疲れてても毎日メモってたのですが…
やっと読み返してみる事が出来ました
意識があまりなくなってからも、「大丈夫ですか?」との看護師さんの問いかけに、「大丈夫です」とよそいきの声で答えてたMちゃん…
そんなだから、八つ当たり出来るのが私だけでした…
Mちゃんは私に度々怒った…
わかっちゃいるけど悲しくて…
「ちょっと下に行ってくるわ」と30~40分程泣いて、落ち着いて病室に戻ると、Mちゃんが申し訳なさそうに「ラキちゃんごめんね」と云った
「いいよ♪ 八つ当たりされるんも兄弟の運命さ♪」とふざけて云うと嬉しそうに笑ってたMちゃんの顔が思い出される…
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ねぇMちゃん、私は力になれたかな?
支えになれてた?
私のこのHN"ラキシア"は亡き愛猫の名前なのですが…
このHNで例えると…
Mちゃんは、子供の頃から普通に私を呼ぶ時は"ラッタン"の様な愛称で呼んでいた
でも、甘える時やご機嫌とりをする時、嘘をついてる時には"ラキちゃん"と呼んでいた…
私が昨年11月に帰ってから…
Mちゃんはずっと私を呼ぶ時「ラキちゃん」と云ってたよね
甘えてた? 頼りにしてくれていた?
そうだったら…嬉しいよ…
私はちゃんとMちゃんを支えてあげる事が出来ました
そう思いたいな…
あまり姉妹らしくはなかったけどさ…
Mちゃんと姉妹として過ごせて楽しかったよ♪
その分、悲しいし、苦しいけどさ…
でも、私は笑って生きていくさ
Mちゃんは、今はみんにゃと楽しく過ごしてるかな?
「癌に勝って再び猫と暮らす!!」と云う夢は叶わなかったけど…
大好きなみんにゃと逢えてきっと喜んでるね♪
きっとそうだね♪
(と云う事で、今日はMちゃんのにゃんこの写真です♪)
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生きてる者優先だからさ、命日の今日は帰れないよ…
だけど…花屋勤務のイトコにお花頼んでおいたから、飾ってくれたやろ?
「Mちゃんが好きなピンクの花を混ぜて、Mちゃんが好きそうな感じでつくって♪」と伝えておいたんで、こんな感じでつくってくれたんよ♪
Mちゃん、嬉しいやろ?
イトコはMちゃんが昔から大好きな饅頭を供えてくれました♪
私はイトコが送ってくれたその写真を見ながら今日は手をあわせるけど…
18日に帰省するから、その時にお母さんと行きます
Mちゃんがどんなに辛い時でも帰ってたあのMちゃんが子供の頃から大好きだったあの家に♪
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