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猫を飼い始めたのは家内と付き合い始めた頃、小さなキジトラの仔猫を知り合いから譲り受けたのがきっかけだった。
もう時効だがアパートの大家さんに内緒で飼った。
結婚、引っ越し、転勤と若い頃の思い出にはいつも「バット」が傍にいた。
小柄だったので動物病院の先生から「そんなに長く生きられない」と言われたのが嘘のように18年も生きた。
最後は2度の子宮がん手術を受けた後に亡くなった。
今でも手術をしたことは後悔している。
何が何でも助けてやりたい一心で積極的に手術に同意した。
でも、小柄なおばあちゃん猫の身体には大きな負担だったのだ。
猫の様な小動物に対して手術を施すのは決して正解とは限らない、それが教訓だった。
「バット」を失ってから数年間、猫を飼う気が持てなかった。
でも、縁があって先代猫である「よもぎ」が我が家の一員となってくれた。
とにかくよく食べる子でしっかりと太ってくれた。
「よもぎ」は子供たちの成長と共に15年間一緒に居てくれた。
つらい時でも家に帰って「よもぎ」が傍にいてくれるだけで癒された。
…「よもぎ」も忌々しい癌におかされた。
食べ方の変化が最初の兆候だった。
片方の歯だけで噛むような仕草だった。
次第にヨダレを垂らすようになった。
口の中を覗くと舌の右側に小さな異常が見つかった。
「バット」のことが頭をよぎり、たとえ癌であったとしても切り刻むのだけはやめようと決めていた。
闘病生活の5か月間、まず舌が部分的に壊死して脱落した。
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自分でエサを食べられなくなったので、家族で協力しながらシリンジを使って給仕した。
そんな中、「よもぎ」にとって動物病院での補液が何よりも安らぎだった。
体調が少し良くなった帰り道、車の窓に乗り出して景色が流れていくのを目を輝かせて眺めていた。
その時間の「よもぎ」は生き生きとしていた。
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でも扁平上皮癌はどこまでも酷い癌だった。
食べることが何より好きだった「よもぎ」から食べる喜びを奪い、景色を眺めるのが好きだった「よもぎ」から視力までも奪ってしまったのだ。
それでも「よもぎ」は最後まで頑張って闘ってくれた。
…火葬場の方が「お骨の様子からこの子が最後まで生きようと必死だったことがわかります。お骨はしっかりしているのに中がスカスカになっています。これは最後に骨の栄養まで全て使って頑張った証です。」と説明してくれた。
…たとえその言葉が慰めの言葉だったとしても、「よもぎ」も懸命に生きようとしていた、いつまでも家族の真ん中に居たかったと思っていてくれた、そう強く信じている。
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