最終的に筆者のベッドにケージごと置いて寝たんだが、朝方、キュルキュル鳴いて起こされた。
筆者が温度に気を使いすぎた挙げ句、寝コケているうちに暑かったようだ。
トホホ。
早速、術後ウエアを着させてカラーは取り、食べやすいご飯を与えて、みたいな流れだった。
しかし、仕事終わりの夜になって、抗生物質摂取による下痢を起こした。
これは逆に、手術で絶食していたものが与えた食事が一周りして胃腸が動いている良いサインであると共に、抗生物質は下痢をすることが多いので、予想内の対応だった。
この下痢はニオイも色も特徴的だ。
黄色が目立つ状態で、ニオイもいかにもお薬なケミカル臭で、いわゆるウンコ臭さはない。
下痢が出ている間は、筆者のそばにいて甘えまくっていた。
止まったらぴょい〜とどこかで休んでいるが、それでいい。
そういったのも、猫の信頼があるということだろう。
一方、筆者が凹んだのは、深夜になってQ&Aに届いた緊急質問だった。
親猫が飼育放棄した猫が衰弱して死にそうで、知恵を貸してほしいというものだった。
ちょうど、クレアの面倒を見ていた関係もあり、しかも深夜なので他に誰か返事をするわけでもない。
命のかかった問題だから、必死で、いや、むしろかなり慌てて色々と返事をした。
残念ながら未明に息を引き取ったと報告があった。
必死で生きる命もあれば、あっけなく世を去る命もある。
それがさだめといえども、かなしいものだ。
筆者も再三、子猫や子犬のケアをしてきたが、短い時間で天に召されてしまう命もある。
こればかりは抗いようのないなにかがあるんだろう。
筆者がそういったものに妙な肩入れをするのは、自分自身がそうだったからだ。
生まれた直後に戒名のために名付けられたような状態だったものが、何故か生きているので治療をすることになり、生きながらえた。
そして筆者はモルモットとなり、喜んでその役目を果たした。
結果、現在、同じような病気の方の治療が進むようになったが、筆者より年上の同じ病態の方はほぼ存在しない。
ただし、それを自慢したいわけではなく、役に立てて嬉しかっただけだ。
筆者の役目はただのモルモットでしか無く、実態は関わった医療機関のみなさんのご尽力の賜物だ。
当時の先生方は全員が鬼籍であるが、そうして残した偉業が新たな生命を救うのだ。
それは結果が明快に見えるものじゃないけれど、嬉しいだろう?
実際、そうして生かされた以上は、何がしかのお役目があるんだろうと自覚する。
生命力だけで解決できない話だからだ。
その為、自分ができることであるなら、なんでも出来る限り尽力したいわけだ。
それはただの自己満足でしかないのは解っている。
でも、そうして楽しく生きているということが、重要なんだと思う。
他人から見てつまんねーことに自分の存在意義を見出すとしても。
それは、人間でも犬猫でも命である以上は全て同じことだ。
いま、巷でこんな話題で盛り上がる。
↓↓↓↓
東大の担当者もびっくり、猫の治療薬開発に寄付殺到…総額1億2千万円突破 2021/07/20
https://www.yomiuri.co.jp/science/20210720-OYT1T50077/
猫の典型的持病である腎臓系の病は、猫の感染症と同じくらい、猫の死因を構成する。
それらの研究は、コロナ禍で滞っていたものなんだが、どんどん献金が集まってという、ほほえましい話だ。
ストレス社会の現代にあって、猫が人間にもたらしてくれる何かは、猫に与えている何かより大きいのだろう。
小さなことでも出来ることは沢山ある。
殺伐とした世の中だからこそ、それが偽善と誹られようとも、自分ができうる何かを形にしていくことが重要だ。
一人で結果を出す必要はなく、関われたことに喜びを持とう。
目に見えて効果が解らなくても効果的な何かを重視したい。
賛辞が欲しいのではなく、惨事を減らしたいだけだだ。
全ての疲れた人々を導くのは、すべからく北風ではなく太陽なんだろう。
筆者の所でグルグル甘えまくるクレア。


下痢のお尻を舐めた後、筆者に懸命にグルーミングしてくれる。
しかし、調子に乗って遊び始めたりするので、筆者留守中にキャリーに閉じ込められる。
傷がくっつく事を考えると、最低、2日、できれば3日は大人しく、だ。
動物は人間より傷の治りは早くくっつきやすいものだが、腹の皮は薄いのであまり引っ張ると縫い糸部分で切れてしまう。
そう言えば、最初は理解してなかった1号ソフィアも、自身が経験したはずの手術と認識したようで、妙に気を使っていた。
仲間意識の気遣いも、見ていて微笑ましいものだ。
思わず、座布団十枚ならぬ、ちゅ〜る10ポォンと言いたくなる。
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