我が家は毎年 茨城の実家…通称『ばぁばんち』で夏休みを過ごしています。
2018年の夏休みの終わりに その家に迷い込んできたのが てんてん です。
『ばぁばんち』と言っても、誰も住んでいません。
お盆は、仏壇を開けて。
みんなが帰ってくるのを待つのですが。
毎年 と言っても2019年は むぅの体調悪化で数日、2020年は一学期休校措置の影響で夏休みが短縮されたこともあり行けず。
今年も夏になってからは行っていません。
先日、ワクチン接種の日が入り盆の日だったので。
帰りに キュウリの馬と ナスの牛をつれて帰ってきました。
このキュウリの馬とナスの牛の話も。
私は子どもを育てなければ 興味すら持たず 知ることもなかったかもしれません。
自分語りに なりますので、つまらないかもしれないですし。
不快になられたら 読むのをやめてくださいね。
先日 DVDを借りてきていました。
なんとなく観たくなったのです。
小説は読んだけれど 映画化された作品は観たことがありませんでした。
映画『八日目の蟬』
主題歌
Dear 中島美嘉
ワクチン接種の後、どうしても皇居周辺を歩きたかったのには少し理由がありました。
こむすびたちの父親とよく歩いた場所だったのです。
知り合った頃。
長男が生まれてから。
調停や裁判が始まり次男が生まれる前。
…もう声も顔も思い出せないし、
もう二度と会うこともないけど。
恨んでもないし、子どもたちに出会わせてくれたことだけは感謝してる。
子どもたち 大きくなったよ。
次男は後ろ姿がアンタそっくりになったよ…
2011年の春。
私は 長男に出会いました。
もともと初めの結婚で 母の闘病や死別もあり、心と身体を壊して 子どもは産める状態じゃないと言われ、それも原因のひとつで離婚しました。
子宮筋腫や子宮肥大の持病もあったので、
お腹がふくれてきたのは いよいよ悪化したのかと 覚悟しての受診でした。
「なんでこんなになるまで放置したんですか?」と。
…あぁやっぱりか。手術か。
のあとに出たのは。
「おめでとうございます」でした。
エコー写真の中の『筋腫』は、
私にピースサインをしていました。
それが、長男です。
でも。
喜ぶべきなのかどうか。
正直 不安でしかありませんでした。
お腹の中の子の父親は、奥さんと小学生の娘二人を置いて出てきた家出人だったからです。
あっと言う間に堕胎可能のリミットが来て。
お腹のコが男の子だと知った彼は嬉しそうに 子どもの名前を考えたりしていましたが。
妊婦検診のときに 事情を正直に話していたので。
看護師長から手渡されたのは『特別養子縁組』のパンフレットでした。
当時私は 中央線沿線の会社で働いていて。
通勤時間によく本を読んでいました。
ある日 目に留まったのが
『八日目の蟬』 という 角田光代さんの小説。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%97%A5%E7%9B%AE%E3%81%AE%E8%9F%AC
(ウィキペディア)
すごく ずしーんと 刺さりました。
(『八日目の蟬』は、
蝉の全てが七日で死ぬわけではなく 七日目以降もメスの蝉は、産卵する為に生きるそうです。
だから 八日目の蝉は夫のいない妊婦の事を指しているという解釈もあるようです)
安定期を過ぎた頃、彼の『妻』という人がやってきました。
「そんないらないコ、産んでもらっちゃ困るのよね」「おろして」「ころして」
彼はその人に「帰れ」としか言いませんでした。
…離婚したはずなのに。『妻』が持ってきた離婚届に 彼は署名捺印をしたから 離婚したと思っていたらしい。(バカが!)
私は その女性に「誰がなんと言おうと、この子は私の子として 産みます」と静かに告げました。
ある日 仕事から帰ると、二人の少女が 私の住むアパートの階段に座っていました。
一緒に帰宅した彼の表情が一瞬にして強張り その二人の横を無視して 私の手を握りしめて通りすぎました。
そして 遅くなっても帰らない二人、
無視し続ける彼、
携帯の電源を切り連絡のとれない二人の母親…
私が臨月の腹を抱え、二人を車に乗せて 二人が帰れるであろう電車の駅まで送り届けました。
10年前の夏休みの終わりの事でした。
…あの二人ももう高校生、成人したよね。
そのあと。
あちらから 調停だったり裁判だったりの書類が届いて。
次男が生まれた後、離婚が成立しましたが。
私は 長男が生まれる前に沖縄で結婚式はしたものの 彼とは結婚しませんでした。
…結婚式した時点では『重婚』になってしまうし、離婚が成立して 結婚できるようになっても籍を入れなかったからです。
それは私(一人)の意思もありました。
その後 数年は 一見普通に幸せそうに暮らしましたが。
亀裂は簡単に戻ることはなく。
長男は全くなつかず、
それは私の彼に対する態度が原因だと責められ。
彼がいる日や時間は 私たち母子は家にいてくつろぐこともできなくて。
…終わりました。
話し合いのあと、ベランダで誰かと電話で話す声。
「オッケーって言わせたよ」
相手は出会い系サイトで知り合ったという 会ったこととない 九州の女性でした。
…あ、私もそのあとその人と話したから(笑)
やっぱりか、だったし。
籍を入れなくてよかったと思いました。
養育費の公正証書ができ終わるまで
彼の機嫌を損なわないように 極力笑顔で過ごし、彼は数週間で出ていきました。
それからはずっと3人での暮らし。
いや、私の心のなかでは ずいぶん前からパパ不在だったけど。
生まれる前には いらないコと言われ。
私の父には 籍を入れずに出産するなんて、
かわいそうな子どもだ と言われ。
認知はしたものの 最終的には気が変わって
私がもしも病気になったとしても死んだとしても『知らない』と言われ。
子育てなんて 人生計画になかったし、
元々子どもが嫌いだった無知な母親(私)に育てられている二人…
だからこそ。
私が頑張って、
一緒に成長しようって。
私が 絶対に二人を守り 育てるんだって。
一緒に きれいなもの 大切なもの 海 山 星…見て、泣いて笑うんだって。
失敗もするし 落ち込んだりもするけど
一緒に生きていくんだって。
決めたから。
二人と暮らしていて。
自分の母親を思い出して
「ママ、どうしたらいいの?」って泣きたくなること あったけど。
「ママに会いたい、ママに会わせたい」って思ったことあったけど。
口にすれば 辛くなるだけし、
そんなふうに考えてる余裕もなかったからかな。
母だったら 何て言うかな?
母だったら どうするかな?
だけで過ごしてきた。
この前。
本当に偶然に。
母の名前と同じ文字を書く機会があって。
全く 母とは関係なくて。
書くまで 全く気づかなくて。
…もう書くことが なくなってから17年経ってるから 忘れていたのかもしれない。
でも書いている手が 覚えていて。
震えた。
お母さん…
なんであのとき?
あのときのあれはどういう意味だったの?
私は どうすればよかったのかな…
聞きたいことはたくさんあるけど。
わからない。
きっと 今の私を見て、驚いたり 呆れたりしてるんだろうな。
そっちでは姉さんとは仲良くやってるのかな?
お母さん…
あのとき迷ったあのコがさ、
今年10歳になるんだよ。
将来、私のこと 恨んだりするかもしれないけど。
弟と一緒に 私の悪口言いあってくれたら それでいいと思ってるんだ。
お母さん…
久々に思ったんだ。
お母さんに会いたいなって。
お母さん…
私じゃなくて 姉さんが生きてればって思ってたけど。
子どもたち産んでさ、私 死ぬまでしっかり生きなきゃって思ったんだ。
絶対に生きてやるって。
お母さん…
でもさ。私 もう一度 自分の名前 呼んでもらいたいな。
お盆だしさ。
今夜辺り 出てきてくれないかな、夢でもいいからさ。
子どもたちさ、
私が注射してきたら ものすごく優しいんだ。
「ママ、おかえり!」って何度も言うの。
きっと不安でお留守番してたんだよね。
「熱でてない?」っておでこさわって体温計持ってきてさ。
「どこチックンしたの?」って 腕見てさ
「腫れてない?」って。…太いだけなのに。
かわいいでしょう?
うん。わかってる。
今日は パパ(父)の誕生日だよね。
電話しとくからさ…
ていうか、自分で挨拶いけば?すぐそこだし。
お母さん…
私、まだまだ頑張るからさ。
見守っててよね。
お母さん…
私が 間違ったことをしたならさ、
そっちに行ってから聞くからさ。
今は このまま見守っててよね。
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