けして大きいとは言えない、良い意味でこじんまりとした斎場でしたが、
とっても気持ちのいい対応をしていただいて、
最期の最期に心温まるお別れができました。
そちらの斎場さんから新仏供養のご案内をいただいていたので、
先日、法要が行われるお寺さんに蘭子ちゃんと一緒に参加してきました。
蘭子ちゃんの名前も読み上げてもらって、
なんとなく、ひとつ区切りを迎えたような気持ちになりました。
前回お友達から蘭子ちゃんへのお花が届いたことを日記に書きましたが、
同じタイミングでもうおひとり、お友達からお花が届きました。
なかなか日記が書けず、ご紹介するのが遅くなってしまいました。
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とってもとっても可愛くて
とってもとっても素敵なお花です。
蘭子ちゃんの骨壷カバーとも色合いが同じですごく感動しました。
おふたりからはさくらちゃんのときにもお花をいただいていて、
お花を飾ると悲しい気持ちも癒されて、ありがたかったです。
本当に心から感謝します。
ここからは、ちょっと頭がおかしくなっていたかもしれない飼い主の戯言。
蘭子ちゃんが亡くなって数日後のある日の夜、
もう寝ようと3にゃんと一緒にベッドに入り電気を消してしばらくした時、
猫が猫ドアを出入りするときの『カタンカタカタン』という音が聞こえました。
あれ?誰か部屋から出て行った?と思ってベッドを確認したら、
3にゃん共それぞれ私の周りで横になっていて、聞き間違いかな?とその日は思いました。
それからしばらくして、
同じような状況でまた同じように『カタンカタカタン』と聞こえて、
3にゃんはやっぱり私の周りでそれぞれ横になっていて、
そこで初めて「蘭ちゃん?!」と思いました。
それからまたしばらくして、
同じような状況でまたまた同じように『カタンカタカタン』と聞こえて、
3にゃんはやっぱり私の周りでそれぞれ横になっていて、
私ははっきり蘭ちゃんだと思いました。
そしてそれからまたしばらくしたある日の夜、
その日は猫ドアの音ではなく、誰かがベッドに飛び乗ってくる『ファサッ』という気配を感じました。
3にゃんはやっぱり私の周りでそれぞれ横になっていて、
私は嬉しさと悲しさが混ざり合った感情になり涙が出ました。
それが9月の末のこと。
それ以降は、今日まで何も聞こえません。
ベッドに飛び乗ってきたのが最期のお別れだったのかもしれません。
半分は蘭子ちゃんロスの私の願望が混ざった幻聴だと思います。
でも半分は…蘭子ちゃんだったらいいな、と思います。
日中は仕事なので普通に過ごすのですが、
正直夜になると、蘭子ちゃんの骨壷を抱えてほぼ毎日泣いていました。
新仏供養をしてもらった日、
『蘭子ちゃんを抱き抱えて悲しみむのはそろそろ終わりにしないといけない』
『そうじゃないと蘭子ちゃんも安心して天国に行けないよ』
と、旦那が私に言いました。
私は猫ドアの音のことを旦那に話しました。
すると旦那は『えー!ホント!?すごい!』と興奮し始めました。
さらに私が、
でも10月になってからは何も聞こえなくなったし、
蘭子ちゃんは賢い子だったからちゃんと天国に行ったんだと思う。と伝えると、
『そっかー!じゃあ大丈夫か♪』と。
我が夫ながら、なんて単純なのか。
だけど旦那の言うことは間違っていないし、私も理解しています。
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10月26日は四十九日。
蘭子ちゃんのためにも3にゃんのためにも、しっかりしなきゃです。
おまけ。
事件現場のような颯士郎。
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