コロナでもあり、高齢の叔父(名古屋在住)は欠席しました。
年々、法事の参加者が減っていきます。
強気、勝気だった叔母が弱気な発言を繰り返す。
会話のキャッチボールが成立せずに、何度も同じ会話を繰り返す。
叔父、叔母が年を取ったということは私も年を取ったという証拠。
私は若いとき、10年単位で生活設計をしていました。
30歳になったら、40歳になったら、50歳になったら。。。自分はどうなっているだろう?
ところが、50歳を過ぎると、1年単位でモノゴトを考えるようになります。
来年は生きているのか?
来年は健康でいるだろうか?
叔母も「法事の出席は今回が最後だわ」、とさみしい言葉を発しました。
小さな叔母がさらに小さく見えました。
今の私は一年単位で生活設計をしていますが、叔母は一年後のことは頭にないようです。
明日を見て生きているのかもしれませんね。
年をとると言うことは、そういうことなんだと思います。
まあ、いずれにしても、「昔は良かったなあ」、という人生は送りたくないですね。
年を取り続けても、いつも今が一番幸せ、と思う人生にしたいです。(⌒∇⌒)
今になって思うのは、若者は時間を浪費して、高齢者は時間を大切にしていることです。
仕方ないですよねえ。
親父さん、ボクたちネコはさ。。。
明日のことさえ考えてないよ。
ボクたちネコはさ、いつも今で精いっぱいなのさ。
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