これは私の備忘録です。
ネコジルシの日記に残したいだけ。
さっき、3月11日が開けました。
開けて、今日は3月12日です。
2011年3月11日 午後2時46分。
私の人生の中で最も大きな経験(体験?)の一つでした。
東京でもあんなに揺れたんだから、震源地近くはさぞかし怖かったんだろうなあ、想像に難くありません。
私が避難した公園の噴水の水が大きく揺れて噴水の水が外にまで溢れました。
悲しいことに、私の会社の人もひとり亡くなりました。
休日出勤の代休を取ったばかりに亡くなってしまったのです。
通常勤務をしていればそんな目に合わなかったのに。。。
仙台出張をした時、たまに飲みに行く人でした。
私より10歳近く若かった。
まだまだこれからの人生だったのに。
ビールばっかり飲む奴でした。
震災で亡くなった方で、知人はその人だけです。
でも、たくさんの犠牲者が出ました。
そして報道には出ませんが、たくさんのワンちゃん、ネコちゃん、そして家畜も亡くなったでしょうね。
さぞ、苦しく辛かったでしょう。
😢⤵️⤵️
●●くん、震災で亡くなった多くの皆さま、そしてワンちゃん、ネコちゃん、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
私の3.11体験。
私は、3月11日の記憶は今でも鮮明に覚えています。
その日は会社に残る人、帰宅する人、さまざまでした。
首都圏のJRや私鉄は全て運休、深夜に石原都知事の英断で都営地下鉄だけが動き出しました。(石原さんって凄いなあと思いました。)
私は帰宅を選択しました。歩くしかない。
帰宅すれば、土曜日と日曜日、連休だし、家も心配だし。
19:00ちょうどに事業所を出ました。
徒歩でおよそ30キロの行程です。
駅前の立ち食いソバ屋で腹ごしらえをして歩きだしました。
街道は大渋滞です。
クルマよりも歩行者の方が速かったのを記憶しています。
タクシーは役に立たなかったみたい。
途中に2か所ほど停電地域がありました。
寒くて缶コーヒーを買いたくても、自販機もコンビニもすべて使えません。
交差点では警察官が手旗信号で交通整理をしていました。
やがて足に激痛が走るようになりました。
それでも歩かなければ家に着かないわけで。。。
当時、会社から貸与されていた携帯電話はピッチでした。
災害時にピッチはつながりが良くて助かりました。
帰宅途中に友人宅があります。
友人に連絡、とにかく友人宅までは頑張ろうと、足を引きずりながら頑張りました。
友人はその日、振り替え休日で在宅だったのです。
助かりました!
19:00に出発して友人宅に到着したのは24:00。
休まずに5時間歩いたことになります。
(親父さま~?)
友人宅の床暖房がなんとあたたかったことか!
ホットコーヒーどれだけおしかったか!
テレビニュースを友人と見ながら体を温めて。。。
自転車を借りて帰宅しました。
(親父さま~! ワタシの耳がないわよ!)
幸いに我が家は、朝に家を出た時とほとんど変わらない状態でした。
その頃はまだクロノスもマーベルも生まれていません。
今の私なら。。。考えるとぞっとします。
私にとって最も長い一日でした。
これからも忘れることはないでしょうね、一生。
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