これまでハチを愛し、温かく見守ってくださった方々へ心から感謝を申し上げます。
最期までハチはやんちゃで明るく優しく気高く、そして目一杯生きました。
私の自慢の猫です。どうかハチを褒めてあげてください。
4月3日に呼吸状態の悪化から縦隔膜リンパ腫と診断され、
治療を続けてきました。
持病の腎臓病やハチの性格も考慮し、そして何よりもハチが治療によって苦しむことがないよう
絶対に苦しませたくない、その思いで病院の先生の勧めのもとステロイド治療を選択しました。
本来であればリンパ腫の場合、抗がん剤治療が選択されることが多いようですが、
副作用や治療の効果、治療に対するストレス等を考えた結果、治療によって余生がつらいもの
になってはならない、そのことだけを考えた結果でした。
これまで一人息子猫としてやんちゃでおおらかで皆に愛され大切にされ育ってきたハチが
最期まで、家族と一緒に安らかに過ごしてほしい、ずっとそう願ってきました。
ステロイド治療によって4月中旬には腫瘍はほとんど見えなくなり、食欲も旺盛で
元気いっぱい。血液検査の結果は腎臓をはじめすべての数値が問題なしで
ハチ!絶好調!でした。
私は仕事をセーブしてハチに寄り添い、この元気な様子がいつまでも続くよう願ってきました。
しばらく呼吸の状態は落ち着いていましたが、5月中旬くらいから胸水が溜まり始めました。
1週間に1回程度100ccくらいを抜いていました。
日々ハチの呼吸状態や呼吸回数を見守り、早めに病院を受診し超音波で胸水の状態をチェックしてもらう
ようになりました。
リンパ腫がわかってからすぐに自宅に酸素室をレンタルし、呼吸が苦しそうだったら
いつでも酸素が吸えるよう備えていましたが、このころは酸素室を使うことはほとんど
ありませんでした。
すこしでも楽になるならとハチを酸素室に入れてもすぐにドアをガリガリ引っ搔いて
すぐに出たがっていました。
6月に入ると胸水を抜くのが中4日ほどになり、胸水を抜くための麻酔によって少しずつ
体力が落ちてきてしまいました。このころには腫瘍が大きくなって肺を圧迫しているため、
胸水を抜いても呼吸状態は大きくは改善せず、少し楽になったかなという感じでした。
呼吸回数は早く、開口呼吸はいまだにないものの、身体を横にできず伏せの態勢を保つことが多くなりました。
6月8日からは食事をほとんどとらなくなり体力が徐々に落ちてきてしまったため、
胸水を抜くのは麻酔なしで行うこととなりました。
日々の生活ではキャットタワーに登ったり、ゆっくりですが階段の上り降りをしたり
家の中を自由に過ごしていました。
少しでも家中の酸素濃度を上げるため、家中の窓を全開にし換気扇を回し、エアコンもかけていました。
ハチは風通しの良い網戸の前のひんやりしたフローリングに臥せって
窓外や庭を見て過ごすことが多かったです。
一身に病を受け入れ懸命に生きるハチの姿を、私はそばで見守ることしかできませんでした。
天国のお義父さんの遺影へ向かって「お義父さんハチを助けてね」
家の前にある神社へ行き「ハチが苦しむことがありませんように」
それだけを祈り続ける日々でした。
6月11日13日と立て続けに胸水を抜き、このころからは数時間づつですが
家の酸素室で過ごすようになりました。
6月15日呼吸の状態は大きく悪化してはいませんでしたが、朝一番で胸水チェックのために
病院へいきました。病院までは車で10分ほどですが、行く途中でハチはよだれを垂らして
ぐったりとしてしまいました。よだれを垂らしたのは初めてのことでした。
ハチにずっと声をかけ続け、病院では前の患者さんを飛ばしてすぐに診てもらいました。
そのまま胸水を抜くために病院の酸素室で預かってもらうことに。
13時半前に病院から電話があり「胸水を抜くために身体を横にする必要があるが、呼吸状態が
悪いので、横にできない。伏せの態勢のまま抜こうとしたが、苦しさから動いていまい、胸水を抜くことが
難しい。急変する可能性がある」と。
ハチの最期は私が絶対に看取ると心に決めていたので、夫とすぐ病院へ急行すると、
チューブから酸素を吸って少し落ち着いた様子のハチが診察室の台にいました。
私のことを分かって安心した様子を見せてくれました。
病院の酸素室に入れてみると身体をよじって動き
先生曰く「身の置き所のない辛さかと。今呼吸が止まってしまってもおかしくないです」と。
そしてハチが酸素室のドアをガリガリ掻いて私に助けを求めてきました。
私は「ハチは家に帰りたがっています。家に連れて帰ります」と看取る覚悟を先生に伝えました。
白血病を持ち慢性腎臓病を患いながらも9歳までずっとハチを愛情をもって治療をしてくれた先生に
心からの感謝の気持ちを伝え、急いで家へ向かいました。
車中、ハチを撫で続けありったけの感謝と愛を伝え、声をかけ続けました。
ハチはゲージの中でも酸素室の中のようにグネグネと動き、早く家に帰りたいと言っているようでした。
「もうすぐおうちに着くからね。大丈夫だよ。大好きだよ!ずっと一緒だよ!」
そして、あと少しで家に着くところで「ニャン!」と一度鳴いた後、息を引き取りました。
家に着いて、ハチを抱っこしたまま家の中と庭を思い出を語りながら歩き回りました。
この家はハチのすべてです。楽しい思い出がいっぱいです。
「家に帰ってきたよ。よく頑張ったね」と泣きながらハチを褒めたたえました。
語りたいことはたくさんありますが、何よりも「ありがとう。大好きだよ。これからもずっと」
たくさんの思い出と相思相愛の関係はこれからもずっと一緒です。
天国でのハチがどうか健やかで楽しくおいしいごはんをたくさん食べて元気に暮らしていて
ほしい、そう心から願っています。
ハチが亡くなってから、毎晩夢を見ます。朝起きるとうっすらとしか覚えていないのですが
茶色の猫が出てきます。ハチです!毎晩会いに来てくれます!
子猫のころはやんちゃで元気いっぱいで、私の手や顔は傷だらけ。
抱っこできるようになったのは半年ほどたってから。遊ぶのが大好きでねずみのおもちゃや
紐や紙袋が大好きでした。
寒いときには膝の上に乗ってきてはゴロゴロし、寝るときも起きるときもいつも私と一緒。
いつだって家族の中心で笑いや愛情や癒しをふりまいてくれました。
闘病中も懸命に生き抜くハチの姿にたくさんのことを教えてもらいました。
ハチと過ごした9年間は幸せそのものでした。
思い出しては毎日涙が出てしまいますが私は元気だよ!
家の酸素室で眠るハチ。亡くなった前日夜も酸素室から抜け出していつも寝ているベット上に飛び乗った!

この網戸前で呼吸を整えていることが多かったです
こちらが生前最後の写真です

体格が良く、毛並みもツヤツヤだったので霊園の担当者の方にびっくりされました。
「本当に眠っているようで、病気で亡くなった感じがしないですね」と。
たくさんの思い出写真と大好きなネズミのおもちゃとおいしいシーバを持って
私のにおいが染みついたフリースに包まれて天国へ旅立ちました。


「ありがとう。大好きだよ。これからもずっと」
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