私が中学生の頃、家に犬と猫が来ました。
犬はケンという名前のコリーで、素晴らしく性格の良い、陽気な子でした。本当に牧羊犬なの? と思うお間抜けさもありましたが、やる時はやる子です。
猫はカラと私が名付けた、コタローと同じくアメリカンショートヘアのシルバークラシックタビーで、私を妹分と思っている面倒見の良い子です。
私は今でも2匹が大好きで、ずっと愛おしいまんまでいます。
カラは布団をフミフミするのが好きでした。小さい頃に母猫と話された影響だったのかな、と今は分かります(ウールサッキングもありました)。
コタローも布団をよくフミフミします。
その度に可愛いなぁ…とにやけますが、カラのことを思います。
ぶんたは犬っぽいところがあって、名前を呼ぶと走って来てくれることがあるから「ケンもこうだったなぁ」と懐かしくなります。
どれだけ大切でも、見送らないといけなかったあの子たち。
会えるものならもう一度会いたい。会えないのが寂しくて泣きたくなる、そういう存在。
猫と暮らすのは幸せです。でもそれはやがてやってくるものすごい、身を引き千切られるような喪失感と引き換えなのを私は知ってしまっている訳で。
別れは例外なくやってくるのも理解しているし、誰に任せるのではなくわたしが2匹をちゃんと送らなくてはいけないとも思っています。
でも、ほんと幸福を前払いされてるなぁ…。
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今日からぐんと冷え込んだからくっついてくる猫たちがあまりにあったかくて、その熱を昔カラにももらったなーと思い出して感傷的になってしまったようです。
普通ならまだまだ俺たちの闘いはこれからだ! ですし、その時間が少しでも長くあるようにと努力も出来る。しょほんりする必要は全然ないんですよね。
ただ時間は有限だから、大切にしていかないとね。
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「いいからゆかだんになるがいい」なコタロー
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「ぶんたのまくらにしてあげます」なぶんた
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「一緒にいるから寂しくないね」の図。なおこの10秒後にはいつもの取っ組み合いです。
猫団子は遥か彼方ですね。笑
さて、今から寝て4時に起きないといけません。
次の日記は日本代表が決勝トーナメントに手が届いた世界線でありますように。
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