今日の日記は不快なものかもしれません。すみません。
5日になった深夜から早朝に我が家の良が旅立ってしまいました。
朝起きて良を探したら、玄関の土間で亡くなっていました。
腎臓病末期、先週の木曜日に診断されて1週間持ちませんでした。
通院も結局捕まえれた木曜日だけしか行けませんでした。
結局、私は治療をすることが出来ませんでした。
そして私の中にはいろんな気持ちもありました。
無理やり追いかけて格闘して捕まえて病院に行って、良が望んでいないことをすることが良の為なのか?
腎臓病末期の良に無理やり治療をして、少し延命になることを、良は喜ぶのだろうか?
自分が良にしてあげたい事は、良が長生きすることより良の望むこと・・・そんな気持ちもありました。
私のしたことは、猫を飼っている人、保護している人、猫のボランティアをしている人からすれば、なんて無責任な飼い主なのか!と思われ、お叱りを受けることかもしれません。
否定はしません。
実際に継続治療しなかったのですから・・・
この先、我が家の猫たちが病気になっても良と同じように治療ができない子がいると思います。
人馴れ、病院馴れしていない子が大半なので、その可能性は十分にあります。
良もまた人より猫が好きな子で、家にいても触られる事が嫌いでした。
最後の1週間弱の時間、ほぼ寝てばかりでしたが、大好きなとらじろうが鳴けば一生懸命歩いて追いかける日々は変わりませんでした。
良は飼い主との時間より、猫たちとの変わらない生活を望み、最後まで貫きました。
亡くなる日もヨロヨロ歩き、必死でとらじろうの後を追いかけ、一緒に寝ていました。
飼い主は無力で、良にとって生きる希望にはなれませんでした。
それが悲しい訳ではないのです。
我が家は群れのような家で猫が猫に依存している子も多いです。
飼い主はただそんな猫たちの猫たちが望む生活を維持するため、見守るために存在しています。
飼い主ではなく、共同生活をする仲間なのかもしれません。
私は正直、良がこんなに早く逝ってしまうなんて思ってみませんでした。
言い方は悪いけど、もう少し弱り捕まえやすくなるとも思っていました。
一度捕まった良は私を警戒していました。
良は6日お寺さんが迎えに来てくれて、火葬が終わった連絡も頂きました。
返骨をお願いしているので、すぐに帰ってきます。
私の考え、決断などご理解頂けない方もお見えだと思います。
飼い主失格と思われる方がお見えになるかもしれません。
日記を読まれてご不快になられた方がいらっしゃいましたら、申し訳ありませんでした。
毎回見送るたびに、命の終え方を考えます。
旅立った子たちが望んだ最後を選んであげれただろうか・・・
私のエゴではなく、猫自身の望んだ最後を間違えずに気づいてあげれただろうか・・・
良がいないのが未だ信じられないですし、いつも猫団子の中心だったので、猫たちもあいつ何処に行ったのかな?と思っているようです。
今は亡きシロさんに付いて我が家の庭に現れたのが9年前。
生後4ヶ月の子猫でした。
まさか腎臓病のかりんより先に逝くとは・・・先月まで普通に暮らしていただけに、中々頭の中で切り替えれません。
日々の猫たちとの生活、猫たちにとって後悔がない生活をこれからも続けていけたら・・・と思っています。
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我が家の巨猫はいなくなってしまいました。
良くん、一度でも抱っこしてみたかったな。
我が家へ来てくれて、ありがとう。
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