良が亡くなり10日経ちました。
猫たちにとっては良は急にいなくなったわけで、いないという事だけが理解できてる事で死を理解している訳ではなくて、猫たちに言葉で伝えることができたなら・・・と毎回見送るたびに思うのです。
この10日とらじろうは自分が鳴けば何処からでもやって来た良が来なくて、今も大きい声で呼んでいます。
ライは良が好きだったので食欲が落ちました。
こたろうも良を大きな声で呼びますが、良は現れることはありません。
何故いないのか?
猫たちは時間をかけてゆっくりと会えなくなったことを理解していくのですが、それを理解するまでの時間が見ていて切なくなります。
我が家は超多頭飼いなので、猫たちの当たり前、飼い主の当たり前がみなさんとちょっと違う部分があると思います。
楽しいことは沢山あるし、思い出もたくさんできます。
でも、別れは多くなり、毎回ロスになり、猫たちもまたロスになる子がいます。
私は猫たちの相性、飼育するスペース、猫たちにかける時間や費用など、飼い主にとっても猫たちにとってもどれだけ猫が増えても楽しくてオススメ!とは言えません。
むしろ何とかしている部分が多いかもしれません。
我が家は全頭仲良しではなくて、一緒の家にいてもフリーで生活している子たちが存在を知らず関わらず命を終える子たちがいます。
6畳、14畳の部屋それぞれ一つづつ、猫部屋に使わないとダメで猫に明け渡した部屋があって、それは部屋だけで暮らしている子には必要なことでした。
最初はよくても、何かのキッカケで数年後相性が悪くなることもありますから、猫にとっての逃げ場は必要かなぁと実感しています。
何かあったとき、対応ができる、考えれることが猫が増えるときには飼い主の心づもりが必要だと思っています。
例えばフードも必要なフードが買うことができないなら、それは匹数の限界だと考えていて、我が家で1番高いフードはアミノペプチド2キロ8,000円弱。
これが1ヶ月に1個半から2個食べます。
それ以外にも色んなフードの種類、ウエットフード、パウチ、紙砂、シーツ、ゴミ袋や掃除用品など、ありとあらゆる物の消費が半端ではありません。
例えば紙砂は13.5リットルを月に70個は最低でも必要です。
そんなはちゃめちゃな消費が何に対してもあるのです。
いま腎臓病のかりんの通院費も月に4万円ほど。それ以外の子の薬をもらうときもありますから、医療費ゼロの月はありません。
私は猫との出会いはご縁だと思っていて、好みだとか年齢だとか、病気持ちだとか、そんなことはどうでもよくて、気にしていません。
みんな可愛いと思っていますが、出会ったから暮らしているだけなんです。
一緒に暮らすならできる限りの要望に応えようとして、結果猫たちはワガママ放題になってしまいました(笑)
我が家がお世話になっている動物病院はとても多くのTNRの猫たちがきます。
先生も可能な限り対応しています。
年内ギリギリまで予約が入っています。
TNRに対して、色んな意見はあるでしょうが、猫のためより自分のために私はやってきました。
子猫が増え続ければ飼いきれないし、面倒もみられない。自分のために匹数制限をしただけです。
病院で個人の方がTNRの猫を連れて来ていたとき、昔の私と同じことを言ってみえました。
もう増える心配がなくなった、もう子猫を見ないですむ、ようやく捕まってくれた。
本音だと思いました。
1匹でも多く家猫になれたらいいなぁと、沢山の猫たちと暮らしていていつも思います。
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禄、家猫になったとき推定10歳。
もうすぐ2回目のお正月を迎えます。
毎晩、早朝とモコとの運動会。
まだまだ遊びさかりな女帝です。
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