お見舞いを申し上げます。
また羽田空港の事故で亡くなられた皆さま、ご家族様にも哀悼の気持ちを申し上げます。~
12/31。
キャンプ場の管理棟で囲炉裏を囲んで
子どもたちも初めての年越しカウントダウンをして新年を迎えました。
我が家は両親も私も一人っ子だし、私の父以外 母も祖父母も皆他界しているので
お盆もお正月も特に集まることもなければ、することもなくて。
でも子どもたちには寂しい記憶を残したくないから(私は夏休み、冬休み明けにどこ行ったとかお年玉いくらもらったの話題を担任の先生が聞くのが大っ嫌いだった)
逆に他の家庭があんまりしないような過ごし方をしようって。
去年は地味~に過ごしてあんまり記憶にないけれど(車壊しちゃった衝撃と修理代への恐怖で)
今年は無事に、ほっこりした時間を過ごすことができました。
夜空はプラネタリウムみたいに沢山の星が輝いていました。
1/1
キャンプ場の、山の上にある神社まで初詣のお散歩へ。
一昨年のおぉ兄の誕生日のとき、台風で山崩れで孤立した…ということがあったのですが。
そのときの増水のときの爪痕がまだ残っている川を渡り、山道を登って行きました。
![](/img/diary_image/user_166249/detail/diary_296830_5.jpg?h=f4acc31ca9dad55823da5f9d05c922ab)
澄み渡る青空が清々しかった!
山の神社はお手入れをしてくださる方がいないのか、しめ縄(細いもの)が垂れ下がり紙出もちぎれたり落ちていたり…だったので、みんなでしめ縄をかけ直して
『今年はみんな無事に過ごせますように』
『キャンプ場で事故が起きませんように』
『病気しませんように』とお願いをして。
「神様にいいことしたから、きっと守ってもらえるねッ」なんてニコニコしながら下りてきました。
ちぃ兄は山の神様からのお土産だ、なんて
落ちてた鹿の角を拾ってきて。また宝物が増えました💧
暖かな陽射しのもとハンモックに揺られながらワンピースを読んだり。
![](/img/diary_image/user_166249/detail/diary_296830_4.jpg?h=f4acc31ca9dad55823da5f9d05c922ab)
キャンプ場の、大きな石が多めのところに川砂を積んできてならしたり。
お雑煮を食べたり。
![](/img/diary_image/user_166249/detail/diary_296830_3.jpg?h=f4acc31ca9dad55823da5f9d05c922ab)
足湯のところのペンキ塗りをしたり。
そんな穏やかな時間を過ごしていました。
「…石川県の方ででっかい地震が起きたみたいだぞ」と管理人さんが言って。
スマホを見たら津波警報の文字。
どうか3.11のときのような大きな津波が来ませんように。
余震、余震…また余震。
せめて気温があまり下がりませんように。
雨が降りませんように。
どんどん気温が下がっていく山の気温を感じ。
みんなでちゃんぽん鍋とちゃんぽんをハフハフしながら食べて。
焚き火をして。
まだ8時にもなっていなかったので
ガスストーブをつけた管理棟で、ジェンガや黒ひげ危機一髪、人生ゲームをして。
…アナログだけど、楽しいですよね。そういうの。
夜は
以前よりだいぶ窮屈になったテントで
ポータブル電源+敷き毛布で
三人でくっついて寝るから全然寒くなかったけれど。
地震と津波のことが心配で
夜中何度か起きて、ネットニュースやX(Twitter)でSOSの情報を見たり(見たってなにもできないのに)していました。
夜中遅くから雨が降り始めて。
朝にはだいぶ大降りの雨になっていました。
1/2
雨でルーフに荷物を積み込めなくて。
のんびり撤収になったのだけど。
設営時に無理してワンポールテントにせず、
「今日はお手伝いしてもらうこと沢山あるから、ウッドデッキにしちゃいなよ」の甘い誘い(笑)にのってよかった…
なんとかお昼までには小雨のときを見計らって荷物を積み込んで出発できましたが。
管理人さん(元中学校長)と出発前に中学の話をしたり。
世界で起きている戦争の話や
金沢の地震の話をして。
今、自分に何ができるのか…とか。
「お世話になりました」
「ありがとうございました」
「またね~👋」
また必ず会えるかどうかの保証なんて
どこにもないんだよな…ってふと寂しくなって。
精一杯の笑顔で手を振りました。
山道を車で降りながら。
「…ねぇ録画したドリフ、録れてないと思う」
「え!なんで?」
「地震が起きて、地震のニュースや津波警報が出て避難してくださいっていう情報を流していたと思うから」
「そっか、そうだよね。お笑いよりも人の命の方が大事だもんね」
…えー、つまんないって言うかと思ったけど。
成長したんだなって。
「帰り道、一般道でもいいかな?」
「いつものことじゃん」
「ま、そうなんだけど(笑)お金のことや、ルーフに荷物積んでるし、方角も違うけど、もしかしたら緊急で被災地に向かう車とか自衛隊さんとかいるかもしれないし。それなら1台分でも、1秒でも早く着けるように道を譲りたい気持ちだから。
自衛隊さんも消防も警察も、家族がいても被災地に向かってるんだよ。もう着いてるかもしれない」
「そっか…」
私に何ができるんだろう?
まずは事故を起こさないこと、だよね。
人の手を煩わせないようにしなきゃ。
![](/img/diary_image/user_166249/detail/diary_296830_2.jpg?h=f4acc31ca9dad55823da5f9d05c922ab)
たぶん被災地の役には立たないけど
酪農家の方の役には立てるのかなって。
途中休憩はLAWSONで『飲んで応援』してみたりしながら、無事に帰宅しました。
が。
帰宅して。
地震のニュース…と思ったら。
真っ赤な炎に包まれた飛行機の画像で。
「何これ…」
「羽田だって」
「海保の飛行機っ?」
旅客機の乗員乗客全員脱出の情報に
「良かったね。海保は自力でどうにか脱出できるもんね!」と海保に憧れている ちぃ兄は隊員さんたちの無事を信じていたのだけれど。
くっしゃくしゃになってる『みずなぎ』。
そのうち5名の方が亡くなられたという情報が出て。
「特殊救難隊のエキスパートだよ!なんで死んじゃうの…なんで新潟で人命救助しに行くのに自分が死んじゃうんだよう。」ってかなりショックを受けていました。
「貨物室に犬や猫…もしかしたらいたかもしれないけど。たぶんいたとしたら助からなかったと思う」
「…ケージに入れられてるもんね。逃げられないよね。乗ってないといいね」
ちょっと我が家には衝撃が強すぎるようだったので。
遅くまでお笑いの番組を見て、子どもたちは笑って…寝ました。
不謹慎という方もいますが、見ていられないという気持ちの人にはお笑いは救いにもなるのです。
X(Twitter)のポストに
『緊急時に、
何もしないことが最良でありうることを認め、
何もできないことを受け止め、
何かした気になることを戒め、
何かしないと不安になることとの戦いの
別名を、祈る と呼ぶ』
というものがありました。
…祈る、しか今はないのだなと思いながら。
私は洗濯をして、寝ました。
現在。
![](/img/diary_image/user_166249/detail/diary_296830_1.jpg?h=f4acc31ca9dad55823da5f9d05c922ab)
てんてんと一緒に(そこら辺にちょびもまるもいる)箱根駅伝で「あ、この道通った?」「ここ、ばぁばのお墓参りの帰りに通ってるよね」なんて。
みんなで過ごしていますが。
こういう、なんでもないような時間を過ごせることは
当たり前ではなくて
ありがたいことなのだと。
ありがたさに感謝しながら過ごさないと
大切なことに気づかず
見失ってしまったり、失ったりしてしまうんだよなと
改めて感じました。
帰り道にFMのスポーツニュース。
高校サッカーの試合で
地震で来られなくなってしまった石川星稜高校の応援団の代わりに
自校は敗退してしまった神奈川日大藤沢高校の人たちが黄色いゴミ袋に『星稜』の文字を書いて、応援をしたのだと。
「誰かのために」の思いや考え方ができる、この高校生たちのように
被災地に、思いや力やお金が繋がっていきますように。
これから被災地は悪天候になっていくとか。
どうかお一人でも多く、誰かの大切な方の命が助かりますように。
そして家族と離ればなれになってしまった
わんちゃん、ねこちゃん。
家族に再会できますように。
『祈る』しかできない私ですが。
心からお祈り申し上げます。
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