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災害が起きた時、どうやつて避難するかを考へる。
うちのおひいさまは、まだ抱つこする処か触る事すら儘ならない。無理矢理いけば行けない事は無いけれど、果たして災害時、人間達が冷静に動けるのかが問題なのだが。
一月に長男が産まれ、退院して直ぐに大きな地震が有つた。
何を考へる間も無く夫に長男を託し、新生児に必要な物を細々と鞄に詰めて寝室へ戻ると、夫の腕の中で長男が眠さうに目を開けて、私を見てゐた。
その次の年の一月十七日、“阪神淡路大震災”が起きた。
長男は自閉症である。だからと云ふ訳ではないけれど、障碍の有る人、老人、病人、子供、妊産婦はどうしてゐるのだらうかと思ふ。
理屈の判らない動物達は。
健康な人でも辛い状況で、弱い立場で不便を強いられ、不安に苛まれてゐるかと思ふと、少しでも心安くと祈らずにはゐられない。
祈る事しかできないと嘆く人がゐる。
神様が祈りを聞き届けてくださるかは判らないけれど、祈る時はその地を、人を想ふ時だ。
祈る事は忘れない事。