今日、午前中に 母をグループホームに お願いしてきた。

一緒に暮らし始めて 13年
最初はこんな程度かと思った。
それなりに話もできたし、 日々の買い物も一緒にできた。
それがだんだん一緒に出掛けるのを嫌がるようになり
「なんで私が行かなあかんの?」と口にするようになり
小さなことで すねたり怒ったりするようになった。
それがどういうことか 私にはよく理解できていなかった。

母は右の耳は聞こえず 左の耳ももうほぼ聞こえていない。
買い物に行くとき 後ろから来た車に クラクションを鳴らされても聞こえない。
私に叱られてやっと 車に気づく。
掛かりつけの医院に行くと、しんとした待合で 母の大きな声だけが響き みんなが振り返る。
きっと「私は何か変なことを言ったろうか?」とでも思っていたのだろう。
そんなことが プライドの高い母には辛かったのだろうと 今ならわかる。
そのうちトイレの失敗が始まった
汚した下着を こっそりタンスに隠す。
「なんでこんなことすんの?」
大きな声で叱った。
私が小さいころ 母に叱られた時の様に。
それが「だめかも?」の一番最初だったかもしれない。

家じゅうを うろついては 気に入ったものを自室に持ち帰り隠す。
それが自分の洗面所のタオルであれ、台所のボールであれ 気に入ったものは何でも。
母の 「収集癖」に対抗するため 引き出しという引き出し 扉という扉 部屋の入口
母に開けられて困るところにはすべて カギを付けた。
私は母としゃべらなくなった。
そのうち 徘徊が始まる
自分の履いていた室内履きを抱きしめて 駅まで延々歩いて行った。
昼夜 お構いなし。
母の行動に目を光らせていることにだんだん疲れてきた
徘徊防止用のカギがあるって もっと早くに知っていれば もう少し楽だったのか?
今となっては「さて?」だ。
少し前から 母は私の事がわからなくなっていた。
まるで デイサービスのスタッフさんに話しかけるように
とっても丁寧な言葉づかいで話すかと思うと 「だれ?」と疑いたくなるような言葉を投げつけてくる。
「そうか、分らんようになったんか」
いっぺんに冷えた。
この人をたたき殺さないうちに 施設にお願いしよう
そう思った。
それは母のためではなく 自分のために。
すぐに施設を探してもらい 見学させて頂いた。
幸いわりと家に近い場所に施設が見つかり 契約させていただいた。
今日 母の着替えや パジャマやその他もろもろとともに
母を預けてきた。
さみしかったり 悲しかったりの感情が全くない
たぶん 子供のころから 私と母の関係が良くなかったからだと思う
母には母の 私には私の生き方があって 相容れないことってあるのだと思う。
それが今まで修正されることなくお互い避けてきたにすぎない。
今夜 ずっと私たちを気にかけてくれていた叔母に 電話をしておこうと思う。
おばあちゃんを最後まで見てくれた叔母は
「楽しなさいや」といつも言ってくれていた。
おばちゃん、 最大級 楽させてもらうことにしたわ
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