15歳の我が家の最高齢でした。
今年に入り少しずつ腎臓が悪くなっていき、体重も減っていきました。
病院が嫌いで、本当はもっと通院した方がよかったのにたまにしか行けずで、皆さんからみたら、ちゃんと世話をしていない飼い主かもしれません。
食欲はめちゃくちゃあって、亡くなる前の日まで1日に何回もご飯を食べて寝ての生活でした。
食べなくなったとらじろうに、病院行こうよ!と話しかけて、主人と2人がかりで捕まえようとするも、全力で拒否。
どこにそんな力があるの?と思うほど力強く暴れました。
結局私は病院には連れて行かず、その日の夜中日付が変わった後に、とらじろうは旅立っていきました。
不謹慎かもしれませんが、天晴れと言いますか、とらじろうらしい最後だったように思うのです。
8月に私が退院して、とらじろうの体調が悪くなってきて、体力がない退院したばかりの私と、捕まりたくないとらじろうの追っかけっこがいい思い出の一つです。
この時は30分後私が捕まえて、私の勝ちでした。
私は人も猫も死に方、命の終え方を決めれるべきなのでは?と考えています。
正直飼い猫、飼い犬を70匹を見送るとその都度後悔や良かったと思うこともあります。
いま一緒に暮らす24匹もまた見送る事になるんですが、その子達の望む命の終え方を感じとり、飼い主なりに考えて終わらせてあげたいと思っています。
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この写真は、5月に亡くなったライととらじろうの写真です。
この2匹は仲が良く、写真を撮った日はライが亡くなる2日前。
もう余り動けなくなったライの側でとらじろうは寝ていました。
私は写真を撮りながら、ライがもう長くないことを感じていました。そして仲がいい2匹にとって終わりたい終わり方をさせてあげたいと考えていました。
この時のライはトイレも間に合わず毛布の上でお漏らしをしてしまうから、お漏らしの度に毛布や掛け布団は洗濯。
だけど自分が楽になる為にライを1匹ケージに入れて看取ることは私や主人にはできませんでした。
ライやとらじろうも望んでいないことだからです。
写真の2日後ライは亡くなったのですが、最後まで一緒に寝ることができて良かったなぁと思いました。
今頃とらじろうはライや弟分の良にも再会しているかもしれません。
10月が過ぎ、去年の10月から今年は一年新入りが来ませんでした。
何十年ぶりだろう?
猫と暮らし始めてから初めてのことです。
増えなかったことは良い事でもあり、寂しさも感じています。
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まる
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モコ
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やまと
毎日気ままな生活です。
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