
2024年頃のテトラさん
2010年、母が亡くなり弟も結婚のため家を出ていき一人暮らしが始まりました。、
2011年の東日本大震災で容易でない時間を過ごしながら一人暮らし継続。
一人暮らしがはじまってからネットの猫関連を見始め保護猫関連ののサイトを見るようになり、猫飼いたいなぁと思いながらも保護猫譲渡のハードルの高さに躊躇する毎日。
なにしろ提示される譲渡条件の8割9割に引っかかるような状況。
澱んでいたなぁ…。
ある日保護猫に関するネットサーフィンをしていたら保護猫施設のサイトを発見し、そこは車で40分位の場所。
当時猫カフェなど無い地域だった為本物の猫さんを見るためにそこに行くことにしました。
その場所は工業高校の廃校?を間借りしている施設で、空き教室や実習室なと3-4部屋に沢山の猫や犬が保護されていました。
その施設でゲージ越しに猫たちを見学し、仔猫子猫達には「怪しい奴がなんか覗いている!」とばかりにそよ風の様なシャ〜で威嚇されたりして。
それでもその当時は威嚇だとは気が付かずに猫たちから歓迎の挨拶をされてると勘違いしたのを覚えています。
何度か見学をさせてもらった後の2011年12月、今日こそはは猫を連れて帰ることを決めてその保護施設に出向き、どの子にしようか?とゲージを覗いていました。
茶トラや三毛や白黒ブチと沢山の猫が居ましたが、決められない性格も相まって何度もゲージの前を行き来してそれでも迷って悩んで。
並んでいるゲージの一番端で悩んでいた時に担当スタッフさんが目の前のゲージの猫を指差して「抱いてみますか?」と言ってくれて。
それがテトラさんとのファーストコンタクトでした。

保護施設のゲージの中にいたテトラさん
ゲージから出されて腕の中に抱かれたテトラさん、喉を鳴らし腕の中でモミモミやチュパチュパを始めて。
落とされました。
スタッフさんにこの子にしますと告げて、13年2ヶ月の一緒の生活の始まりでした。
施設のゲージ越しにテトラさんの姿を写真に撮りましたが、その写真を見返すと貧相とか荒んでいるという表現がピッタリ当てはまるような風貌で、スタッフさんから面倒を見てもらってるとは言えやはり心細くて酷な思いをしていたのだろうな…なんて思いました。
腕に抱かれた時は必死にアピールしていたのでしょう。
「ここから連れ出して!」と。
その施設のスタッフさんには事前に自分の境遇は正直に伝えてあり、その熱意が通じたのかそれと少しでも保護猫達を里親の元に届けたいとの判断で引き取ることは了承してもらえました。
書類や規定の手数料を支払い少しだけ施設へ寄付をして帰宅の途につきました。
そして我が家での生活が始まりました。
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