
昨年の10月にモモは肺足症候群で亡くなりました。
5月から下痢で通院、もっと早く治療していたら、腸は免疫機能を担う体の大事な器官だから、腸の治療をもっと早く始めていたら、肺がんの発症や進行は違っただろうと後悔しています。
7月になるとモモはびっこを引くようになり、足を見て肺がんからの転移と分かりました。犬には起こらない猫特有の転移で、足の中央部分から転移が始まることが多い。最初はカラーを付けて、足をなめないようにする位でした。
死ぬまでこのカラーが外せないのは可哀そうと思っていたら、転移が進行すると、がんで足は大きくなり、出血や爪も取れ、包帯が必要になりましたが、カラーが外せたのは良かったです。

モモは腸の炎症があって、抗生剤を使用すると下痢がひどくなり、抗生薬が使えなかったので、創部を清潔にするために多い時は1日に5回、包帯交換をしていました。出血してしまうと止血するまで抱っこして傷口を抑えていました。一度、絆創膏を切るのにハサミがに手が届かず、ちょっと手を離した空きに、逃げ出し途中のガーゼは外れ、階段に血、介護ベットの下に潜り込み大変でした。
モモは腸の治療にステロイド薬を内服していたので、末期まで食事は良くたべてくれました。

亡くなる前の1週間弱、酸素ゲージをレンタルしましたが、箱の中から出たい様子にゲージを使わず、

日向ぼっこのモモの写真ですが、酸素マスクを顔を側に置くようにしましたが、効果はあったのかな?マスクの方に自分から顔を近づけることはありませんでした。
歩けなくなったら、死は近いは分かっていましたが、こんなに早いとは思いませんでした。亡くなった当日、私が7時に起きて来た時には失禁した寝場所を出て、介護ベットに下に居ました。それから、元の場所に寝かせましたが、失禁してもそのままでした。その後は場所を変えて日向ぼっこ。そこでも失禁、午前中に受診の予約、昼に病院へ行って点滴、点滴に入れる薬だけは止めてもらいましたが、バックに戻す時に大きく口を開き、Dr.が「死ぬかも…」私はただ早く家に帰ることしか考えませんでした。家に着いて、バックのチャックを開けた時、かすかにお腹が動いたように見えました。モモが死んじゃうとバックを置くと「もう、死んでるでした。」
ごめんね。こんな窮屈なバックの中で死なせて、家で看取ってあげたかった。
末期になると玄関の廊下や浴室、シンクの中や隅っこいる事を好むようになり、ドアを開けるとモモがいる事が多くなり、帰ってきてもそこにモモの姿が見えない事が悲しかった。亡くなる2~3週間前に家を飛び出したことがあった、初めて朝刊を直接受け取るような時間だった。そんな時間にモモ探し、居た、あっち行ったこっち行ったの追いかけっこが始まった。最後は疲れて家のドアの前で待っていてくれた。今思うと、最後にモモが傷のある足で思い切り走れた、モモにとって最高の時間だったかも…。大好きなお外(過去に1ケ月の家出有り)思い切り走れて良かったね。
人の肺がんを想像して、肺がんの末期は苦しいものだと思っていた。呼吸にしても若干の変化は感じましたが苦しそうな様子を見る事はありませんでした。本当に猫って苦しさや痛みを表現しない動物なんですね。
モモは薬も上手に飲んでくれて、傷の処置の時もじっとしていてくれて良い子でした。