久方ぶりのネコジです。皆さん、ご無沙汰しております。
さて、わたしなんこは、家族、にゃんこ共々無事に過ごしております。
地震があった時、わたしは息子を母に預けて、買い出しにドラッグストアへ出かけていました。
揺れが収まった直後、一瞬で停電しました。
店にいても仕方がないと思い、急いで帰宅しましたが、今思えばその時に出来るだけの買い物を済ませていればよかったのかもしれません…
停電に伴い、電源が必要な石油ストーブは使うことが出来ず、テレビも当然見られなくなったので、情報はラジオと携帯電話だけでした。
被災した宮城県や岩手県もさることながら、青森はさらに寒さが増す地域のため、10度を切る気温(外気は氷点下)の中で眠るのは厳しいものを感じました。
何よりも、7ヶ月の息子が無事に生きて生けるのかが心配で、その一晩は眠れたものではありませんでした…
朝方には強い余震もあり、ますます眠れず…
幸いなことに1日半で通電したので、その後の生活は滞りなく出来てはいますが、ガソリン不足と食糧不足が深刻化しています。
また、我が家のにゃんこたちですが、2Fで暮らすうにとカンカン、1Fのトロとソウタ、みんな元気で変わりなく過ごしています。
ストックされているフードも、ペットシーツも、余裕があるので、今後万が一のことがあっても、当分はなんとかなるだろうと思っています。
わたしたち30代から先の世代の人たちは、昭和58年5月26日に発生した、日本海中部地震を経験しています。
わたしは高台にある避難場所の小学校から、津波がやってくるのを目の当たりにしました。
わたしの伯父は、海上での仕事をしていたため、その津波に飲まれ、奇跡的に生還しました。
残念ながら戻ってこなかった同僚もいたそうです。
一週間以上、水が出ませんでした。
給水車から水をもらうために、ヤカンやら鍋を持って長時間並んだのを覚えています。
今回の地震に比べるとどの地震でも小さな規模とはなってしまいますが、あのつらかった地震を経験しているにも係わらず、まともな備えを出来ていませんでした。
いま、家族でそのことを反省し、備えの大切さを身に染みて感じています。
青森ではいま、3月にも係わらず1月並みの雪が降っています。
被災地でも少なからず雪が降ってきているだろうと思います。
この厳しい環境の中、必死で生きようとしている人たちに、何らかの手助けをしてやりたいと心から思います。
けれど、自分たちをまかなえるガソリンも食料も不足していて、わたしたちも動きようがないのが現状です。
あと数日でおそらく、物流の流れがよくなってくるはずです。
今は歯がゆい思いしかできませんが、それでも出来ること、募金や献血活動を行っていこうと思います。
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