悲しいお知らせですので、さけたい方はスルーしてください。
なお、同じ内容は下記のブログにも掲載しています。
こちらは写真が3枚しか貼れないのですが、ブログの方は写真をいっぱいのせて記事を書いています。
よろしければそちらの方をご覧ください。
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2012年12月19日午後8時38分、ちゃまちゃんが虹の橋を渡りました。
6歳5ヶ月の早すぎる別れに涙がとまりません。
今は安らかにゆっくりと眠ることを祈るばかりです。
11月の半ば過ぎに、初めて異変を感じました。
ちゃまが痩せてきたことに気付きました。
背中をさすると背骨が手に当たるのです。
あれだけメタボ猫といわれていたちゃまが信じられませんでした。
でもそれ以外はいつもとかわらず、ゴハンもおやつもいっぱい食べていました。
ゲリも嘔吐もありませんでした。
少し様子を見ましたが、やはり心配なので11月22日、病院につれていって検査をしてもらいました。
血液検査の結果はすべての数値が正常でした。心音もきれいで触診でも問題なしといわれました。
最近急に見て分かるくらい痩せたこと、元気がなく動きがおそいことなど気付いた点を全部説明しました。
食欲があり、嘔吐、便も異状なし、ストレスや季節の変化によるものかもしれないとの診断で、もう少し様子を見ることにしました。
それからはちゃまに気をかけ、注意深く見て過ごしました。
ゴハンもふつうに食べて、おやつの用意をしだすとみかタンやしゃなと一緒にやってきていつも通りです。
嘔吐、ゲリもいっさいありません。
ただ痩せていて元気がない感じがするだけです。
それでも「ちゃまちゃん♪」と呼ぶと小さいこえでニャアと返事してくれて、ボクが仰向けで寝転ぶといつものようにおなかの上にのって香箱を組みます。なでなでするとのどをゴロゴロならします。
やはりストレスなのかなと考えながら、そういえば、いつものゴハンが価格改定と共に少し中身の成分が変わったといっていたのを思い出し、ちゃまの口にあわないのかも・・・
そう思いゴハンを変えてみようか検討しました。
その他、みかタンと何回か暴れていたのでそれも関係あるのかなどいろいろ考えたり、インターネットで調べたりしながら過ごしました。
12月9日、あまり動かずこの場所にいることが多いのですが、ゴハン、トイレ、いつも通りです。
12月14日、ここまでなにか変わった様子はありませんでした。
12月15日、ボクのふとんの上におしっこをしていました。
ちゃまは年に1、2回この羽毛布団におしっこをします。
それ以外は変わったところはなしでした。
12月16日、くしゃみを何回かして鼻水がちょっと出ていたのでふいてあげました。
12月17日、朝トイレをみるとゲリのようでした。
夜、ボクがゴハンを食べているとテーブルにのってきて、魚をくれくれしました。
「ちゃま、こんなの食べられないよ~。」といいながら鼻先にもっていくとカプッとくわえて持っていこうとしました。
12月18日、トイレに行ったので様子を見るとゲリはおさまっていました。
夜、広げておいた新聞の上に液体の便を2箇所少量していました。
12月19日午前11時、トイレの外におしっこがしてありました。
ちゃまの様子がいつもよりさらに元気がないように見えました。
その後、おふとんで粗相をしそうになり、だっこして新聞の上に移動させましたが、格好だけでなにもしませんでした。
午後病院に連れて行こうときめました。診察開始が午後5時なので1時間くらい買い物に行きました。
帰ってくると敷布団に粗相をしていました。
動くのもしんどそうでふとんにうずくまっていました。
病院が開くまでの間、以前調べた病気などもう一度調べたりしながら、時間が過ぎるのを待ちました。
午後4時45分にクルマで病院に行きました。
以前とは違う病院です。
状況を先生に説明して、血液検査、レントゲンを撮りました。
結果が出る間、「以前のように異状なしといわれたらどうしよう。なにか原因がわかって治療してもらいたい。」と思っていました。
この時点ではまだ認識はこのくらいでしたが・・・
出た結果と先生の言葉は絶望的なものでした。
「伝染性腹膜炎(FIP)です。肺に水がたまっていて呼吸が苦しくなっています。」
この病気の予備知識はあったので聞いた瞬間真っ暗になりました。
レントゲン写真を見せられながら呆然と説明を聞いていました。
「肺がほとんど写ってないんです。これは胸水がたまっているためです。だからいまも肩で息をしている感じです。」
「水は抜くことはできるのですか?」
「出来ますが・・・これだけ衰弱しているので針を刺した瞬間心臓が止まってしまうかもしれません。」
衰弱って・・・昨日までそんなことなかったのに・・・と思いをめぐらせながら
「水を抜かないとどうなりますか?」
「2、3日で死んでしまうと思います。」
なんで急に・・・そんな重体に。いや、前からそうだったのか・・・一昨日までおやつを食べていたいたのに・・・
いろんなことが頭をよぎりました。
「どうするか、少し考えてください。」
そう言われ、先生が別の診察をしている間、台の上のちゃまを見ながら泣きながら考えました。
でも答えはひとつしかありません。
しなければ明日明後日にも死ぬ。すればここで命を落とすかもしれないが、成功してステロイド投与などをすれば奇跡的に回復するかもしれない。
もう一縷の望みをかけて、やってもらうしかないと決心しました。
水抜きの施術を立ち会いました。
肺横の毛をバリカンで剃って、麻酔を打ちました。
ちゃまが苦しみだしました。
「ちゃま がんばれ!」
泣きながら手を握りました。
先生がこれは無理だと判断して水抜きを中止しました。
呼吸困難になっているちゃまに酸素を吸入させました。
ボクがマスクを持ちちゃまに酸素を吸わせ、落ち着くのを待ちました。
先生の考えは、ステロイド投与や点滴などで体力を回復させて水を抜きましょうとのことでした。
皮下点滴と利尿剤もして呼吸が落ち着いたところで帰宅しました。
明日もまた点滴などして元気が出てきたらすぐに水抜きだと気を強く持ってふとんの横のちゃまを見やりました。
ふとんから扉の向こうのフローリングに行こうとするちゃまはもう立ってふんばる力もありません。
それでもなんとか辿り着いて寝転びました。
冷えた床が気持ちいいのか少し荒い息をしながらがんばっていました。
もう少ししたらお薬が効いてきて楽になるからねと見守っていると、急に息ができないのかカッカッと声を出し、何かをつかむように手を伸ばしました。
「ちゃま!ちゃま!」
必死の呼びかけも届かず動かなくなってしまいました。
心臓の音はしましたので、さすりながら
「ちゃまー!」と叫びました。
もう胸に耳を当てても心臓の音は聞こえませんでした。
「ちゃまー!うわーっ!」
もう動かない返事をしてくれないちゃまを抱いて号泣しました。
午後8時38分、ちゃまは息をひきとりました。
いまでも信じられません。
ちゃまがこんなにもはやく逝ってしまうなんて。
ボクをおいて逝ってしまうなんて。あのやさしいちゃまがボクを悲しませるようなことをするはずがない。
いつでもボクの後をついてきたちゃまがいないなんてウソだ。
病院に行く前、午後4時31分ちゃまがゆっくり歩いてきておなかにのってくれました。
今思うと、衰弱して死の近いことを悟ったちゃまが最後の力をふりしぼっておなかの上にのってきてくれたんだなと思い涙があふれました。
「大好きなパパのおなかのうえ、もう一度のりたい・・・」
足をあげるのもつらいのに歩いてきて、最後の右後足はのせることができなかったけれどしっかりうえにのり、ボクが「ちゃま」と呼んだら、小さい声でニャッと返事をしてくれました。
やさしいちゃまの最後の孝行とも知らず、ボクはバカです。
そんなちゃまをみて、病院行ったらすぐによくなって、また一緒に遊べると考えていたのですから。
12月20日午前11時、ちゃまのお葬式をしました。
女の子と間違われるようなかわいいちゃまをかわいいお花でいっぱいにしてあげました。
そしてちゃまにつくってあげた衣装を着せて。
もう痛みから解放されておだやかな表情のちゃまは、まだ生きているようでした。
前の晩は、ちゃまを枕元におき一緒にねんねしました。
これが最後と思うと一睡もできずずっと泣いていました。
出棺の前最後のお別れをみかタン、しゃな、かりにゃタンもしました。
みかタン 「ちゃまちゃん、いっぱいありがとう。たのちかったよ。」
しゃな 「ちゃまタン、どうしたの?またおなかふみふみさせて。一緒におやつ食べよ。」
かりにゃタン 「ちゃま兄タン、アタチのこといっぱいきれいにちてよ。どうちて最近全然してくれないの?」
最後に天国に行くちゃまに感謝の手紙を読み上げ、棺とともに送り出しました。
骨上げをすませ、ちゃまのお骨を安置しました。
あんなに大きなおなかでメタボちゃんと言っていたちゃまがこんなに小さい骨壷におさまってしまったのを見てまた涙が出ました。
手を合わせながら昨日からの事、昔の事などを思い出しました。
「なんでもっとはやく病院に連れて行かなかったのだろう。」
「いくら検査で異状なしでもあんなに痩せてて健康な訳がない。すぐに別の病院になぜ行かなかったのか・・・」
「一週間はやければ、元気になってくれたかも・・・」
後悔しかありません。
ボクは飼い主失格です。痩せているのが唯一のサインだとしてもそれを一度の検査で済ませてしまうなんて。
散々ちゃまに幸せな思いをさせてもらっておいて、ちゃまの苦しんでいるときには何もしてあげられない、いやしなかったなんて。
お店でボクと出会わなければもっといい人に飼ってもらえたかもしれないといつも思っていたので、ボクはボクのできる限りの幸せをちゃまにあたえようとやってきたつもりですが、最後でこんな結果になるなんて・・・
「ちゃま、ごめんね。許して。しんどかったね。もっとはやく気付いていたら・・・ごめんね。ごめんね。」
泣くことしかできません。
猫伝染性腹膜炎が不治の病とはいえ、はやければ違う結果になっていたのではということばかり頭をめぐります。
奇跡的に回復、少なくともこんなに早く亡くなることはなかったのでは、こんなことばかり考えてしまいます。
そう思うとゴハンも食べられません。
夜、くらい部屋にいると後悔の念でちゃまにずっとあやまりつづけ、発作で息が苦しくなりもがいて眠れません。
ちゃまが亡くなってからずっと眠れないでひきつけのようになり泣いています。
そんなボクに明け方疲れてぼーっとしているとちゃまがあらわれました。
「パパ、ボクは幸せでちたよ。いっぱいやさしくちてくれて。みんないい人ばっかりで楽ちい日々でちた。」
「みかタンはこどもだったボクといっぱい遊んでくれて、お昼寝の邪魔ちても全然怒らないでやさしかったでちゅ。」
「しゃなタンはボクにできたはじめての弟でちゅ。やんちゃで元気いっぱいでいたずらばかりちてたけど、ボクにいっぱいあまえてきてうれちかったでちゅ。おなかふみふみも気持ちよかったでちゅ。」
「かりにゃタンははじめての女の子で緊張ちまちた。おてんばだけどかわいくて、いっぱいお世話ちてあげまちた。」
「大家族ですごく楽ちいおうちでした。おうちに来る人、お花見に行ったときに会う人、み~んなやさしい人ばっかりでちた。こんな幸せをボクにくれたパパ、大好きでちゅ。ボク病気に勝てなくてごめんね。パパのせいじゃないよ。痩せたときはちょっと喜んでたから、ね。しゃなタンもかりにゃタンももう一人前でちゅ。ボクのお世話はいりまちぇん。あとはボクのぶんまでパパみんなをよろちくね。」
「パパ、いっぱい いっぱいありがとう。」
それから少しだけ眠れました。
ちゃま、お礼を言うのはボクのほうだよ。
生後2ヶ月でウチに来てくれて、あっという間の6年間でした。はじめての家ネコのちゃま、うれしくてうれしくて。
ちゃまは人を恐がらないから誰にでもスリスリするね。だからお散歩に連れて行ってもみんなにかわいがられて、ほめられて。
会う人みんなにやさしくされたから、ちゃまは弟のしゃなタンや妹のかりにゃタンをかわいがるやさしいコに育ってくれたね。
でもみんなやさしかったのはちゃまがみんなを幸せにするふしぎな力があったからだよ。
ちゃまのまわりはいつもほんわかとあったかい雰囲気に包まれていたよ。
6年間という時間は短かったけれど、20年生きるコたちよりも何倍もの幸せをもらったよ。
これからもずっと一緒だよ。
ちゃま、天国から見守っていてね。
ちゃまちゃん、いっぱい いっぱいの幸せをありがとう。
2006年9月30日、天使になってボクのもとへやってきたちゃまは、いっぱいの幸せというプレゼントをボクに残して、2012年12月19日、天使のまま虹の橋を渡って天国へと帰っていきました。
ちゃまちゃん、またね。
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