
↑キムンも保護猫(居候猫)
木曜日は役場に行かないようにしている。
それは、私の住む町の役場で、月に2回の木曜に
「都合で飼えなくなった犬猫の引き取り」を行っているからだ。
ゼロの日もあれば、そうでない日もある。
ただ、見てしまうと、どうしても感情が高ぶったり、
意気消沈してしまったりするので、
なるべくそれを避けるため、
木曜日は役場には行かないことにしている。
今日は、夕方から来週社会科見学に来る
中学生との面談があり、
役場に呼び出された。
私がお世話になっている担当課の裏に、
引き取り動物を一時保管する室があり、
動物がいるときは、やはりそこから鳴き声が聞こえる。
今日は数匹の子猫の鳴き声が聞こえた。
中学生と面談してる最中にも、それは絶え間なく続く。
「野良猫なん?」
その娘が話す言葉を私は、
「いや、あれは遺棄猫。避妊去勢とかしっかりしない人が多いから、
ああいう風に生まれると困って役場に持ってくるんだ」
と正した。
面談を終え、車に乗り込んだが、
そこからも聞こえる鳴き声がどうしても無視できず、
保管室へ足を伸ばした。
保管室の前には、担当の男の子が、
扉を開けたまま、座り込んで猫を入れたケージを
眺めていた。
彼の「仕事」として考えれば、
そのまま扉を閉めて、鍵をかければいい。
そうすれば鳴き声が、そこまで漏れることはなかったろう。
---そこに彼の優しさと弱さがある。
「何匹いんの?」
「あっkddgpxさん。今日は6匹です」
1つのケージの中には4匹の黒猫と、
1匹のハチワレがいた。ウタリさんに似てる・・・
まだ生まれて数週間だろう。
もう1匹、違うケージに生後2か月ほどの子猫がいた。
「それが母猫だって、持ってきたんですよ」
「はぁ? 本気で言うてるんかいな?」
「分からないです。しかし、慣れないですね、こういうこと」
「そりゃそうや。慣れたらアカンよ、こんなことに」
その子猫に近づくと、小さな身体でせいいっぱい威嚇してみせる。
母猫にしっかり野良教育されてるようだ。
「大変な仕事だよ」
「・・・」
「何とかしなきゃね、一緒に考えようよ」
「・・・はい」
こういう場合、私は何をすればベストなのか分からない。
例えば、1匹だけなら、助けることができたのかもしれない。
そのためには選ばなきゃいけない。
冷静に考えれば、人気のあるハチワレだ。
あの子なら、病気等の条件さえ良ければ引く手数多だろう。
けど選ぶのか? この私ごときが???
・・・そんな風に考える。
私は、
県内のTNR推進団体の手伝いをしていることもあり、
少数ながらレスキューの要請を受けることがある。
(すすんで保護してるわけではないのだが、活動が混同されやすい・・・)
そのとき依頼主に必ず
「里親探しは一緒に手伝いますが、その間面倒をみてください」
と伝えるようにしている。
助けたいという気持ちは、誰もが持つことができる。
けど現実には、自らも負担する余裕がなければ、
レスキューはとてもできない。
金銭も、時間も、意識もすべてをシェアする覚悟が必要だ。
私はその子たちに対して、そこまでの覚悟が持てなかった。
むしろ、そうしたレスキューが起こりにくくする環境をこそ
整えたく思っている。
地道ながらの啓発活動。
飼養モラルにおける意識改革。
漏れる水をいくらかき集めても、疲弊するだけだ。
元栓から締めないといけない。
まだ少数派としても、今が「おかしい」と思い続ける
人間が一人でもいる以上、
必ず時代は変わる。
すぐにはムリだし、それまでに1000の涙が流れるだろう。
そして涙はゼロにはならないだろう。
けどやるぞ!
※私は役場に出入りしていますが「公務員」ではありません。
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