里親のあず猫さん、並びにネコジルシ運営の方ほかご検討・閲覧して下さった皆様にお礼申し上げます。
タイトルのとおり、本日とどこりなく『ぼん』(仮称)はその仮の名前から、新たに『ハチミツ』と素晴らしい名前を頂戴し、正式に【飼い猫】としての栄えある身分をいただいて、新たな一歩を踏み出しました。
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病気になるかもしれません。
迷惑をかけるかもしれません。
死んでしまうかもしれません。
しかし、それは全て彼の重要な仕事。
それらを通して私たち人間に様々なことを「考えろ・想え・そこから何かを得ろ」と訴えている(あるいは訴えてなんていない。シュレディンガーの猫=「観察者によって状態は決定する」)のです。
しかし、そこから何らかを感じえない人間は、その「飼う」という行為が意味する「人間のエゴ」を彼らに強制する資格を持ちません。
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室内飼いだか外飼いだか地域猫だか、まあ、いろいろ猫飼いの中でも議論や主義はありますが、いずれにせよ人が勝手に言ったりやったりしていることにすぎませんし、どれが正解だなんて、だれにもわかりません。
当事者である猫にも。
最後に、お互い「いろいろあったけど、結局はなんか楽しかったね!幸せだったね!」と想って別れられれば、形はともかく、それでいいのだと思います。
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私はまた猫レスな生活に戻ります。
彼らが望めば、またどこかで縁あって彼らに会うでしょう。
再び私はその時を待つことにしましょう。
ではその時まで。
ごきげんよう。
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