(観音堂の堂内の写真がありますので、苦手な方、敏感な方は見ない方がいいと思います。)
先日、私の母の姉が亡くなりました。自宅で家族の行き届いた介護を受け、97歳で老衰。理想的な旅立ちでした。
歳の差がある伯母と私はまるで祖母と孫、一緒に買い物をしたり食事に出かけたりしたことは全くありませんでした。ただ一度だけ親戚内の小さな旅行に同行したことがあります。それは「おふだぶづ」最上三十三観音巡礼の札打のことです。私の住む山形県村山地方は身近に観音信仰があります。
人が亡くなると棺に脚絆やわらじなどの定番品と故人の好物、愛用していた物を入れた後、最後に「おゆずり」という巡礼先で貰った御朱印のついたチャンチャンコのようなものを胸の辺りに掛けます。観音様にも守られながらの旅立ちです。
忌明けまで、近所の隣組のかあちゃんや、ばあちゃん10人程が故人の家に毎晩集い、心経やご詠歌を唱えます。これは「おねんぶづ」といいます。念仏のことです。
私がこれを初めて目にしたのは10歳の頃、祖父が亡くなったときでした。
子供は入っちゃダメという締め切った仏間の襖の隙間から、多感な少女チャメ子が垣間見たのは真っ直ぐ立ち上る線香の煙と仄かに揺れる蝋燭の灯り、線香の煙が雲のようにこもる中、襖をスクリーンにし、大きくなったり小さくなったり映し出る回転灯篭の蓮の絵。
そしてハンドベルのような鈴を振りながらご詠歌を詠う怪しい隣組のおばちゃん達。いつもは優しくお菓子や果物をくれるおばちゃん達なのに、それは仮の姿で本当は得体の知れない者なのではないか...。
夜な夜な繰り返されるこの儀式にチャメ子は恐れ慄きガタガタ震撼してしまいました。
「おねんぶづ」が終わるとまたいつものやさしいご近所のおばちゃんに戻り、お茶やお菓子、漬物を食べながら、世間話や今度いつ「おふだぶづ」に行くか、など話していたのです。巡礼の回を重ねれば得を成すといいます。
ここの地方に住む女性は「おふだぶづ」とご詠歌は必修でした。
今はセレモニーホールで葬式の後に五七日法要まで行うことがほとんどで、お念仏の風習もなくなりつつあります。隣組も個々それぞれみんな忙しいのです。
伯母さんを思い出しながら、第19番札所、黒鳥観音に行って来ました。葉山・月山を仰ぐ小高い山の上にあります。
観音様なのに山門には鳥居があり、地蔵堂もありました。なんでもありの寒村の信仰。

お堂にはたくさんの紙のお札、巡礼回数により紙の色が違います。昔の名残の木の札もありました。


観音堂の中です。天井にはたくさんの絵馬が。
むがさり絵馬が多いようです。
むがさりとは花嫁さん自身のこともいいますが結婚式のことです。
若くしてこの世を去った子供があの世で寂しくないように、家庭を持って幸せになれますようにと親が奉納したものだと思います。メインイベントの三々九度の場面が多いようです。動画を止めて見ているようで、ついつい見入ってしまいます。
昔は結婚は家同士の結びつき。親が相手を決めてあげるのが当然でした。親としての役割をしてあげられなかった子供のために、むがさり絵馬を奉納することで少しは安堵できたのかもしれません。
奉納した人もすでに生きていないはず、今は天井画の人とどんな話しをしているのか。
山形の寒村の観音堂、多くの人が観音様におすがりしながら一生懸命生きていたんですね。
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