神のみぞ知る?
今現在も・・・。
南国市と土佐山田との境に位置する我が家は、ときおり豪雨とピカドンこと雷様が鳴り響いています。
さて・・・。
その私の住居から車で約1時間半ほど東へ走ったところに「室戸市(むろとし)」という所があります。
そこにEさんという61歳の女性が住んでおられるのであります。
その美しき女性。
地元では「室戸のマザーテレサ」として、有名な方なのであります。ご先祖代々、あるキリスト教系の宗教を信仰されてまして、なかなかの偉いお方、つまり大幹部なのであります。
困っている人を見たら、放ってはおけない。
そんな、心優しい方なのです。
とにかく他人に尽くして、尽くして、尽くし切る。
それはそれは、もの凄い生き方のできる女性なのであります。
「自分を犠牲にしてでも、とにかく人様のためにお役に立つ」。そんな行いを40年近くもしているのであります。
私なんぞツメの垢(あか)でも頂いて煎じて飲まなければならない、そんな心境にさせられる素晴らしい女性なのです。
ところが・・・。
「なんであんなにいい人が・・・。」「世の中、神も仏もないものか。」などと、その方の周りでは気の毒がられているのであります。
なんでも・・・。
そのEさんの両親も、ほんとに神様のようないい人だったのですが、最後は不幸な人生だったとのこと。兄弟とも生き別れ、いまだ音信不通だそうです。
Eさん自身も、本人曰く「私は病気の総合商社」というほど、病気と縁が切れない。膠原病(こうげんびょう)に若い時から悩まされ、リューマチで手足の指は、見るも無残に曲がっている、そんな状態なのであります。
ほんと・・・。
「なんであんなにいい人が・・・。」
なのであります。
徹底した「自己犠牲の精神」は、ほんとうに尊いのであります。
「世のため人のため、お国のために自らの命を捧げたもう、我自ら犠牲となり散り行かん」。
これは、日本人だからできうる精神。つまり、大和魂(やまとだましい)なのかも知れません。
さて・・・。
私は、そんなEさんと、ちょっとした世間話などする機会がたまにあるのです。
そんな時、必ず私は。
「他人を愛する前に、もっと自分を愛するべきですよ」。などと畏れ多くもEさんに進言するのであります。
するとEさんは、「長友先生、それは間違いです」。
とキッパリ言い返すのであります。
いつも、こうなのです。
なかなか、話がかみ合わない。
「自己愛こそ悪魔です」とおっしゃる。
他人に尽くして、尽くして、さらに自分を犠牲にして尽くした。それこそイエス様の生涯です。
と、おっしゃる。
しかし・・・。
であります。
そのイエス様は、このように言われております。
「自らを愛し、自分を愛するがごとく、他を愛しなさい・・・云々」と。
自分をも愛せない者が、どうして他人を真に愛することができましょうか。
自分を犠牲にして他人に尽くす。たしかに聞こえはいいですが。
それは本当の「愛」ではないと思います。
しいて言えば「愛欲」であります。
「欲」付の愛、これは本当の愛ではないのであります。
なぜか・・・。
Eさんは、困っている人を見かけると放ってはおけない。そして、その方に尽くして尽くす。自らを犠牲にして尽くすのです。
そして、その相手の方から「感謝」される、その時の喜び充実感は言葉では言い表せないくらいの至福の時だそうです。
痛いほど、わかります。
しかし、皆が皆、「感謝」してくれるとは限りません。
こんなご時世。
時には、その善意を踏みにじられることも多々あるはずです。
人様に尽くす機会が多ければ多いほど、みごと裏切られることも多いハズです。
「そりゃ、まあ、そのような非常識な人も中にはいます。」
と、Eさんは、おっしゃられる。
その時の気持ちはどうですか?
と、聞くと・・・。
「まぁ、それは胸を掻きむしられる思いをすることも・・・。」「私とて、まだ修行不足の人間ですから・・・。」
と、おっしゃる。
実際、「夜も眠れないほど、怒り狂い相手を憎しむ」。そうです。
裏を返せば・・・。
つまり、自分の心を苦しめるわけであります。
イエス様はこのようにおっしゃられています。
「自らを苦しむることなかれ」「自らの真我に目覚めよ」。と
自分の心を苦しめること。これこそもっとも神意に反する行為と言われるのです。
そして・・・。
感謝を求めて行う愛は、ほんとうの愛とは言えません。見返りを一切求めない行為、尽くして尽くす。ただ尽くさせて頂く。
それは、口では簡単に言えますけど、なかなか難しい。
聖人君子といえど、なかなかであります。
まず「自分を愛する」ことです。
ハワイの秘法「ホ・オポノポノ」的にいいますと、もうひとりの自分、つまり、潜在意識(せんざいいしき)「ウニヒピリ」を徹底的に愛することであります。
これまで散々、無視し続けて来たのでありますから、当然であります。
私なんか、50年も放ったらかしにして来たのですから、それはもう大変であります。まるで「不動明王」のごとし我が「ウニヒピリ」であります。
「鉄は熱きうちに打て」。
を痛感する今日この頃であります。



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