たしか小学6年生の頃ではなかったかと記憶しています。
(祖母に無理やり連れて行かれたのでしかたなく)
ではありますが・・・。
しかし、そんな辛気臭い(シンキくさい)お話よりも、ユリゲラーのスプーン曲げ、つのだじろう原作「うしろの百太郎」に出てくるコックリさん遊び、はたまた、燃えよドラゴン「ブルースリー」。
地上最強のカラテ、牛殺し「大山倍達」空手バカ一代、もちろん「プロ野球選手」になる夢・・・etc。
まだ若かった、いや若すぎた私には、選択余地が数多く存在し、したがって、「心の法則」の勉強どころではなかったのであります。
中学校は、野球の名門(当時)、高知市内の潮江(うしおえ)中学校であります。大先輩に「ベンチがアホやから野球ができへん」という球史に残る名セリフを残しプロ野球界を去った江本孟紀という方がいます。
私にとっては雲の上の存在であります。

さて・・・。
野球部に入部したてのピカピカの一年生に、まっていたのは「球ひろい」と「シゴキ」「いじめ」の洗礼でした。
私なんか、特に生意気に見られたのでしょう、顔はビンタの嵐でアンパンマン。尻はケツバットでお猿さん、いつも真っ赤に腫れあがり、高熱を発していました。
おかげで中学、高校の6年間のほとんどを、ただベンチを温めるだけの役割。いや、存在で過ごしました。
昨日も、日記で書きましたが、ベンチを温めているだけの選手に、憧れの巨人軍からの誘いなどあろうハズもなく、プロ野球選手になる夢は潰えました。
その後、「地上最強のカラテ家」になる夢も消え、ウェイトトレーニングに明け暮れる毎日でありました。
「バーベルは鉄学!」
ついには高知県で一番美しい筋肉美? を持つ男と一部の関係者から賞賛されるようになったのですが、全国区ではまったく歯が立たず、マッスル北村(北村克己)選手のポージングと、その肉体を間近で見て、あえなく腰砕け。
(その後、ギックリ腰三度)。

まぁ、それは仕方ないとして。
結局、のこった夢はというと、オカルトの世界。
というか、
「宗教家、陰陽師、超能力者、霊能力者。そのいずれでも可」。
でありました。
しかし、幼少の頃より、鈍感(どんかん)極まりない男に、これらのハードルは高く、止めときゃ良いものを、無謀な挑戦を開始したのであります。
結局、宗教団体めぐり(17団体)、会った(会いに行った)霊能力者、拝み屋、占い師を含めると、それこそ星の数。には届かないまでも、おそらく200名は軽く超している自信があります。
北は青森、南は鹿児島まで、その旅は約30年の長きにわたり、とめどもなく続いたのであります。
まあ、そうですね。
テレビで取り上げられた有名どこは、すべてご面談に行っております。
その過程で、いろんな体験をしております。
今後、機会がありましたらお話したいと存じます。

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