そんな日常会話が多い今日この頃でございます。
そんな中、私のブログにご訪問くださいまして誠にありがとうございます。感謝感激です。
ところで・・・。
皆様は、どうですか?
四苦八苦してますか?
「していない」。と、そう願わずにはいられませんが。
たとえば・・・。
ネコチャンを飼ってる人にとっては、もし隣人に「猫嫌い」がいる場合。その方との人間関係で確実に「四苦八苦」しているわけでして・・・。
まったくもって無視できる問題ではないでしょう。
さて、そもそも、
「四苦八苦」っていう言葉は、仏教から伝来している?
と・・・。
ま、そのように私は解釈しているわけでありますが・・・。
実際のところは、わかりません。
そもそも・・・。
「四苦」というのは、なんなのか?
と、申しますと。
①生。②老。③病。④死。
のことであります。
読んで字の如く、「生きる苦しみ、老化する苦しみ、病気になる苦しみむ、死ぬ苦しみ」。
でありまして、つまり、宿命的な苦しみと言いましょうか。
すべての人類。年齢、性別、善人、悪人、に関わりなく背負わされる苦しみ、避けることのできない「苦しみ」であるのです。
最初に「生(しょう)」。すなわち、生きる苦しみ。というのがございます。
人によっては「いや、私は毎日毎日が楽しくて嬉しくてしょうがありません」。と、そのように日々、暮らされている幸運な方もいらっしゃられるかとは思います。

しかし、であります。
「青春は太陽がくれた季節」。という歌が、その昔大ヒットしたことがありますが・・・。
そんな太陽がくれた青春時代は、あるいは毎日が楽しくて嬉しくてしょうがない日々であるのかも知れません。
私も学生時代は、まあまあそうでした。
たぶん・・・。
ところが、人間30年も、40年も生きてまいりますと、眉間にシワが、一つ、またひとつ、と増えていくわけであります。
いろんな苦労、難題、心配事が日増しにドンドン増えて来るわけであります。
そして遂に、まぁそうですね、私みたいに人生50年以上も生きておりますと「人生は苦しみの連続である」。と、そう悟る、思うようになるのであります。
いやはや、「年」は、取りたくないものであります。
しかし、そうはいきません。
日々、「老化」し、「病気」のリスクが高まり、そして「死」という恐怖が近づくのであります。
この世に、生を受けた以上、何人たりとも避けることはできません。
お釈迦様は・・・。
「苦しみに満ちた、この世に生まれてきたことが、たいへんな苦しみである」。と、そのように悟って、「仏法」による救いの道を説かれたのであります。
もちろん、イエス様も同様であります。
さて・・・。
この「四苦」の他に、あと4つ苦しみがあるというのです。
それは、いったい何か?
と、申しますと・・・。

●愛別離苦(あいべつりく)。
●怨憎会苦(おんぞうえく)。
●求否得苦(ぐふとっく)。
●五蘊盛苦(ごうんじょうく)。
この4つであります。
これまた、読んで字の如くであります。
愛別離苦(あいべつりく)とは、愛する人や飼ってるペット、そして物品(モノ)と、いつかは離れ離れ、別れなければならない苦しみ。
怨憎会苦(おんぞうえく)とは、恨み憎しみあう者と出会わなければならない苦しみ。
求否得苦(ぐふとっく)とは、求めても得られない、願っても叶わない時に起きる苦しみ。
五蘊盛苦(ごうんじょうく)とは、人間に心と身体があること、それ自体が苦しみというものです。すなわち、自己への執着から生じる苦しみというわけであります。
ところで、五蘊とは、仏教が教えるところの、人間を構成する五つの要素のことです。
その要素とは・・・。
「色・受・想・行・識」の五つです。
かんたんに言えば、「色」とは物質。「受」とは感覚。「想」とは知覚。「行」とは意志。「識」とは意識とお考え下さい。
人間は、この五つの要素がひとつに集まって、この世に生を受け生きているのです。ちなみに「蘊(うん)」とは、あつまるという意味です。
どうですか?
「四苦八苦」。
心が「真っ暗」になったのではないでしょうか?
しかし、心配ご無用であります。
「もっとも暗くなったとき、夜空に星は輝く」。
のでありまして。
「克服できない問題は起こらない」。
というのが「現象界の掟(おきて)」なのです。
その「真理」を伝えるために、このブログを立ち上げたのです。
(たまには、というより、かなり脱線もいたしますけど・・・。)
したがいまして、せめて週に一度はぜひ、ご訪問下され。
心より、お待ち申しております。

「それ事態が四苦八苦にゃ~!」
( -_-) まじかよ?
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