私の座椅子が、はーろのお気に入りのようです。
3つも買った猫ベッドの存在は……
でも、どいてと言えば、すぐにどいてくれます。素直な子。
さて、今日は時間があるので、長文書きます。
はーろの話ではなく、初代猫ララのことです。
ララが我が家に来たのは、私が小学校に上がる前の年、6歳児の時でした。
ペットショップで白っぽい毛玉2つを前にして、母親がおとなしい方を選んだというシーンだけ記憶しています。
私が猫が欲しいと言ったらしいのですが、覚えていません。
我が家は裕福とは程遠い家庭でしたが、父が動物好きのため、ペット関連となるとフットワークが軽かったです。
しかし、小学校にも上がってない娘が言ったからって、猫飼うなよ、うちの両親。
ついでに、自分が欲しいって言ったんだからと、トイレ掃除まで6歳児にさせるっていう教育方針はどうなんだろう。
ちなみに「ララ」という名前は、私が当時、サンリオのキキララちゃんが好きで、女の子だからララにしました。
まあ、6歳児の思考回路ですから。
そういう時期だったので、ララの仔猫時代というものは、まったく覚えていません。
また、昭和50年代で、今のように携帯やデジカメで気軽に写真撮れる時代でなかったので、写真も残っていません。
ララはシャム系雑種でした(ペットショップなのに雑種という辺り、昭和の緩さでしょうか)。
カラーリング、プロポーション、性格は完全にシャム猫でしたが、顔がシャム特有のきついものではなく、日本猫のような丸顔でした。
目は綺麗なブルー。
容姿についてはまったく申し分のない美人さんでした。
そして性格は、お釣りがくるくらいのものでした。
とにかく気位が高く、気性が激しい。
頭以外は触ると怒る。喉を撫でるのも駄目。
ちょっと背中に触れようものなら、鉄拳制裁。
当然、爪切りなんかできようものがないから鋭い爪で引っ掻かれ、鋭い牙で本気噛みされ……30年ほど前に噛まれた傷痕が、まだ私の手には残っています。
冬など、コタツのど真ん中に居座り、足が当たろうものなら、またしても鉄拳制裁。
大きな音、子供の高い笑い声も大嫌いで、小学生だった私がテレビを見て爆笑すると、しょっちゅう、噛まれていました。
あまりに凶暴なので、私が噛まれる度、両親はララを捨てようとしたらしいですが、その度、私が泣いて嫌だと言っていたそうです。
「この子、アホか思うたわ」と後年、母親に言われました。全然、記憶にない……
それでも私はララが好きだったし、ララもそれなりに私を気に入っていたようで、よく膝にも乗ってきたし、布団にも入ってきたりしました。
ララはクラッシャーでもありました。
今のように猫用爪とぎが安価で売っている時代でもなかったので、特に爪とぎなどを置いていなかったら、キッチンのドアの木枠を爪とぎ場所と勝手に決めて、そこで爪とぎしてました。
ひどいところでは、3センチ近く、木枠がえぐれていました。
その経験があるんで、どこで爪研いでもいいやというのが、椰・はーろにまで受け継がれています。
猫なんだから、好きにさせりゃいいじゃん、というわけで。
若い頃のララは、度々、脱走してました。
大体1日くらいで帰ってきてたんですが、1度、1週間ほど帰ってこない時がありました。
その間、1度、昼間に帰宅したらしいんですが、両親は仕事、私は学校で無人だった為、鳴けども鳴けどもドアが開かない。
普通の猫なら、そこで諦めるんでしょうが、ララは違いました。
玄関のドアを、自力で開けようとしました。
当時のドアは木製。バリバリ引っ掻いて引っ掻いて……一番上の板を長さ30センチ、幅20センチほどはがしました。
幾ら安普請の建売住宅といっても、それで穴が空くわけでもなく、そこでようやく諦めたララは、また姿を消しました。
その後、今度はちゃんと家族のいる時に帰ってきましたが、非常に不機嫌でした。
最初の子がそういう子で、更に私も子供だったので、猫はそういうものだと刷り込まれ、「ドアを壊したわけでもなし」で、椰やはーろの破壊行為は全部スルーです。
お菓子を食べていると、ララはよく欲しがりました。餡子が好きでした。
分けてあげていたんですが、人の掌を皿にして、そこから食べこぼしたものは、絶対に食べない子でした。
なので、落としたものもちゃんと食べるはーろがものすごく良い子に思えます。
そういう子なのに、抱っこは好きでした。というより、移動に人間を使っていたと言いますか。
椰もそうだったので、自分で移動するはーろが、やっぱり良い子に思えます。
離乳後も、柔らかいものを吸う習慣が残る猫がいるらしく、シャム猫は遺伝的にそれが残りやすいと、何かで読んだ覚えがあります。
ララがそうでした。
彼女が好んで吸っていたのは、私の掌でした。
本当に母乳を飲んでる時のように、手でフミフミしながら、無心に吸っていました。
その度、私の掌や手首には、爪がグサグサ刺さっていたわけですが。
ついでに吸うのは左右どちらでもいいんですが、吸っていない方の手は足で踏んでいなきゃ嫌という子でした。
吸ってないんだからと、足の下から手を抜こうとすると、くるりと方向転換して、踏んでいた手を吸い始め、さっきまで吸っていた手を踏む始末。
私は両手を上に向けてじっとしているしかできませんでした。
ララの死後、何かやたらと時間が余るのが不思議でしたが、手を吸われる時間がなくなったからでした。
ものすごく女王様な猫だったんですが、意外と不器用なところもありました。
まず、爪を仕舞えない。
抱っこした時、爪でつかまってるんですが、おろそうとしても、その爪を自分で外せない。
だから、下ろす前にまず爪を外す習慣が私にできてしまいました。
意外と運動神経も鈍く、ダーッと階段を駆け上がっていたら、途中で足を踏み外し、すごい音を立てて転がり落ちることがしょっちゅうでした。
覗くと、何もなかったかのように毛づくろいをしてましたが。
毛づくろいといいますと、ララは滅多に毛づくろいをしない子でした。
あんまり顔を洗わないんで、ララが顔を洗っていると、雨が降るぞなどと言っていたら、年の離れた弟は、「猫が耳の後ろから顔を洗ったら雨が降る」ではなく、「猫が顔を洗うと雨が降る」と覚えてしまったくらいです。
目ヤニをよくつけていたので、せっかくの美人さんが台無しだと、よく取ってあげていたものです。
ララは1度、脱肛したことがありました。
何かララのお尻から肌色っぽいものが飛び出している。
慌てて親に言って、病院に連れて行くと脱肛だということでした。
ララが病院に行ったのは、避妊手術以外では、この時だけです。
相手かまわず、気に入らないと爪と牙が乱舞する猫だったので、そうそう病院に連れていけなかったんですよね。
後年、ララのブルーアイは緑っぽく濁っていました。
何らかの病気で、視力もほぼなかったようですが、その頃はもう外に出ていくこともなかったし、高齢でも気性の激しさは変わらず、おとなしく治療を受けるはずもなし、興奮させたり麻酔をかけるほうが体に悪いだろうと、連れて行きませんでした。
気位の高い高慢な振る舞いの割に、お金のかからない子でしたね。
キャットフードも決まった物しか食べませんでした。経済的に余裕が出てきたので、安物ではなく、もう少し良いフードにしようとしたのですが、駄目でした。
年を取ると、お腹の皮がびろーんと垂れ下がってしまい、プロポーションは悪くなりましたが、美人さんなのは変わりませんでした。
大学時代、家を離れていた私ですが、卒業して戻った年の夏。
ララの17歳の夏。
急に、ララは何も食べず飲まず、キッチンの椅子から動かなくなりました。
高齢の体に暑さがたたったのか。
もう駄目なんだろう、せめて好きにさせてやろうと、無理に椅子から動かさず、口元にララの好きな竹輪や水などを置いてあげました。
……1週間ほどで復活しました。
いや、復活しないだろ、普通。無理だろ、どうやって生き返ったんだ。何なんだ、この猫。
でも、嬉しかったです。
ただ、17歳の猫が絶食してしまったのですから、当然、元通りとは行きませんでした。
肉がげっそりと落ちてしまい、筋肉も衰えました。
ある時、椅子に座る私の膝に飛び乗ろうとして、失敗しました。
何でもないように振る舞っていても、それだけララの体は衰えていました。
でも、ララ自身はそれに気づいていないようで、何故登れないのかと、不思議そうな顔をしていました。
抱き上げて、膝に乗せました。
その時のララの軽さを、覚えています。
小柄な猫で痩せていて、それでも2キロ程度はあったはずですが、まったく重さというものを感じませんでした。
仔猫の軽さとも違います。
あれは、ララの命の重量でした。
ここまで軽くなっている、ここまでララの命は失われている。
悲しくて涙が出ました。
ララが死んだのは、その年の秋でした。11月6日。
ララは何故か、風呂場の洗面器に貯めていた水を飲むのが好きで、専用の水入れからは飲みませんでした。
昔、まだ下水道の整備ができておらず、排水口からミミズかカエルが上がってくることがあったので、その防止に重石として洗面器を置いていたんですね。ものすごく昭和な話ですが。
で、ララが洗面器の水でなきゃ嫌だと言うので、下水道の整備がなされ、必要がなくなっても、洗面器に水を張るのが我が家の習慣になっていました。
ララが死んだのは17時半頃、私が目を離した隙のことでしたが、その30分ほど前。
ララは風呂場に水を飲みに行こうとして、倒れていました。
数日前から様子がおかしく、もう今日か明日かという感じで、水を飲みに行ける状態ではありませんでした。
風呂場で倒れているララを、私は支えて水を飲ませようとしましたが、ララは怒って拒否しました。
もがくララを、見ていることしかできませんでした。
やがてララが諦めたところで、抱き上げてベッドに戻しました。
死ぬ間際まで、気位の高い猫でした。
斎場にララを連れて行った時、近くにある畑でコスモスが満開でした。
18年経ちますが、コスモスを見るとララを思い出します。
初めて出会った猫。気位が高く高慢でワガママで、それでいて鈍くさいところのあった猫。
猫に対するある種の諦観(つまりは下僕根性)を叩きこんでくれた猫でした。
残された傷痕も愛おしく、大好きでした。
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