それだけに車の往来も多く、夜はみんな80キロくらいで走行するような道です。
ヒトが便利なものとして作った道路は小さな動物たちにとっては死と隣り合わせのもの・・・
幾度となく見た光景、車にはねられ、轢かれ、命を落とす動物たち。
このしまちびちゃんも会社からの帰り道、見つけた。50号の片道2車線の大きな道路の歩道寄り・・・
すぐに猫だと分かった。
近くのドラッグストアで箱をもらい引き返す。路肩に止め(通行の邪魔になるけど許してね)すくいあげた。
もう固くなっていて顔もひどい状態戻してやりたくてもとても無理だった。なんとか箱に納めお花に水、車の中にいつも常備してあるチュールを入れて手をあわせた。
「怖かったね、痛かったね。辛かったね。もう大丈夫だよ、一緒に帰ろう」

昔、誰かが言った言葉。
「かわいそうだと思ったら付いてきちゃうよ」
「轢かれて轢かれてそのうち無くなっちゃうんだからいいんだよ」
その言葉の中に『関わらなくていい・放っておきなさい』と感じ取った子ども時代、見ないようにしてきた。
でも自分が車に乗り、いま猫を飼っている身として放ってなんていられないと強く思う。
私たちが作ったもので私たちが命を奪ったのなら、ごめんね、と手を合わせ冥福を祈るくらいすることしかできないじゃないの、と。
付いてくるならついておいでよ!!ずっと君たちのことを忘れずに手を合わせるから。
そうな風に考えるようになって、車を走らせいろいろなところで出あう度に「どうしよう」と考えるもの後悔するくらいなら後悔しないように行動したい、とできる限り箱に入れて連れて帰ることにした。箱は近くのお店でもらい、花を買い、水とご飯をいれて・・・
埋葬できない時は市の斎場に持ち込むことにしている。
画像ではお花も水も入れているが、斎場ではお花は花の所だけ、お水もチュールもビニールものはすべてダメ。
お水はわかるけどお花の茎くらいはいいんじゃないのと疑問に思うけど職員さんに言われるので従います。骨はどうしますかと言われ「持ち帰ります」と即答。
そういえば持ち帰らないとどうするのか聞いたことがないけど、どうなるのだろう。
夕方、仕事終わりに管理事務所で受け取った。
小さくなった缶ひとつ。
家にはこなつ大天使、以前同じく50号で荼毘にしたクロくん、昔の猫たちがいる。みんな虹の橋に渡った子たち・・・
写真のとなりに置き「みんなしまちびちゃんをよろしくね。あそんでやってね。こなつ、もし、しまちびちゃんがあの場所で動けなくなっていたら虹の橋に行けるように導いてやってね」
いままた、春になり後2~3カ月もすると新しく生まれた子猫が歩きだす頃になる。
また奪われる命が増えるのかと思うと悲しくなる。猫ブームとうらはらに進まない野良猫問題・・・
それでも少しだけ、里親募集猫カフェや「ねこけん」さんがメディアに出たりとほんとに少しではあるけど皆がそんなものがあるんだねと認知されたらうれしい。
いつか理不尽に奪われる命がなくなる事を願いたい。
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