今日はとてもとても長い話です。
少し衝撃的な内容も含まれます。
ネコもあまり関係ない話です。
そういった内容が苦手な方は、次の方の日記へお進みください。
ありがとうございます。
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先日、御巣鷹山へ行って参りました。
恥ずかしながら中学生になるまで、同県であのような事故が起こったという過去を全く知りませんでした。
最初の登山は母に連れられ、意味も理解しないままに山道へ。
その時は雨が降ってきてしまった為、山頂まではたどり着けませんでしたが
事故の凄惨さを肌で感じるには充分でした。
人の生死をとても間近で感じた出来事でした。
それからは、お盆が近づくにつれ彼の地を思う時間が増えます。
よくニュースなどで報道される慰霊の園は、登山口よりかなり手前にあります。
最初に訪れた時に比べると、道路も山道も整備されました。
登山口に車を停めて杖を借りて、入山します。
道中に熊よけの鐘があるので鳴らします。
熊との遭遇の危険がある為、一人では怖くて来られません。
最初の内はなだらかですし、どんどん進めます。
やがて丸太の階段がチラホラ。傾斜も出てきます。
高齢の方には厳しい道だな、と早くも自分の体力にも少しばかり不安が。
次第になだらかな道はなくなり、常に傾斜あるいは階段を上る状態になります。
さっきまで交わしていた会話が途切れ、お互いのハァハァという息遣いが微かに聞こえます。
時折、鼻水ズズッ。ハァー。
先に入山していた方とあいさつを交わしすれ違います。
いくつかある熊よけの鐘の音を聞くと、誰かがいることがわかります。
登山に慣れている方や、男性のみのグループなどは歩く速度が速いので道を譲ります。
数年前に一度だけ、JALと書かれた古いリュックを背負った男性数人のグループを見かけたことがあります。
定年は迎えたであろう年齢の方々。
挨拶を交わし、その背中を目で追うことしか出来ませんでした。
この地でその文字を背負って慰霊登山することの意味、どれほどの覚悟でいらしているのか。
はかり知れません。
やがて、点在し始めます。
数字とアルファベットを組み合わせた目印の標。
数か月前にご遺族がいらした形跡のある墓標。
数が多すぎて全ての標にに手を合わせることは出来ません。
書かれたお名前をつぶやき、この先も続く安らかな眠りを望みます。
ただ、ご遺族の供えられたものがおもちゃやキャラクターグッズであったりすると
どうしても足を止めて祈らずにはおれません。
存命であれば、私と同じくらいか少し上だったはず。
結婚してお子さんもいらしたかもしれない。
行年 3才
手を合わせます。
山頂へ近づくにつれ、光も差すようになってきます。
もう少し、もう少し。
整備されている道ですら容易ではないのに、30年以上前では、、、。
亡くなった方々のあるべき輝かしい未来、
ご遺族・関係者の方々の無念、
事故後の現場を目の当たりにした方々の胸中、
今もなお補修・工事をしている方々のお気持ち、
様々な思いを巡らせ、整理もつかないままに頂上へたどり着きました。
少し開けた場所に昇魂之碑があります。
そこから振り向くと一番近い山の尾根の一部がくぼんでいます。
「U字溝」と呼ばれ、機体が山肌をえぐった痕跡です。
その方向から今自分がいる尾根へと・・・・・・1秒もなかったのではないでしょうか。
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もう少し進むと当時のまま残された巨木の株があります。
溶けた人工物が株を覆っています。
一瞬で衝撃と共に高温になったことを物語っています。(一部ぼかしてあります。)
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進める一番奥にひっそりと機長たち3名の墓標があります。
俗名が側面に彫られていることが、他の遺族への配慮なのかもしれないと感じました。
今回はとても天候に恵まれ、黄色く色づいたカラ松が山々を鮮やかに染めていました。
行きも帰りも団体さんや個人の方々にお会いしました。
個人(おそらくご遺族)の方々のすれ違う時の特徴、想像つきますか?
「相手の顔をじっと見ること」です。
訪れる頻度は違ったとしても、幾度となく顔を合わせて来られたのだと思います。
遺族同士、おのずと顔見知りになります。
すれ違う時の挨拶は「ご苦労様です。」
帰路では母も私も、ご苦労様です。と頭を下げる様になっておりました。
もうすぐで出口という頃、前からお二人連れが来られました。
先を行く女性、後ろから齢80は超えていらっしゃる年配の男性。
男性の首からは、ねじったタオルが下げられ、前を行く女性がそのタオルを持って先導します。
男性の肩からは大きな花束を入れた布袋が下がっていました。
一目でご遺族、とわかります。
女性はおそらく娘さん、男性は数メートル進むのにやっとです。
どなたを亡くされたのか。
一体どこまで行くのだろうか。
山の午後は駆け足です。
14時ともなれば陰ってきます。
お爺さんの足腰、ペースでは山頂までは無理でしょう。
亡くなった方が一番多かった「スゲノ沢」かもしれません。
それでも数時間はかかるはず。。。。。
すれ違い、涙をこらえ、声が届かない辺りまで進み「遺族だね・・・。」とつぶやくのが精一杯でした。
お爺さんの32年間、ご遺族、関係者の方の32年間を思うと胸が締め付けられます。
近頃、ネコジルシの中でも驚くような言葉が飛び交っています。
「死ね」「死ねばいい」「くたばれ」
命はそれほど軽いものではありません。
ご遺族を前に、520の墓標を前に、同じセリフが言えますか?
誰に放った言葉だとしても、見る人すべてに突き刺さります。
思うのは自由です。
けれど公の場での表現となると、一定の配慮が求められるのではないでしょうか。
もちろん、言葉の対象への配慮ではなく、読み手への配慮です。
実際にネコジルシの中にも、上記の事故の関係者の方はおられます。
出発前に少しだけお話をさせていただきました。
ありがとうございました。
言葉は凶器になり得ます。
一年前、私はとても身近な人を亡くしました。
彼は自らその命を終わらせました。
「死ね」が当たり前のように使われる猫好きの為のサイト、ネコジルシ。
では、とても悲しいです。
最後に、
駐車場が見えた頃ふと振り返った沢が、とても美しく見送ってくれました。
静かに眠っている、そう感じました。
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どうか、、、、、、これからも、穏やかに、安らかに、お休みください。
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