それともまだ3年 ?
5月1日が来ると急に胸が締め付けられるように苦しくなる。
3年前の今日は、ニャアがいなくなった日。
あの日、ずっとずっと探しても見つからなかった。
ニャアは二度と帰ってこなかった。
あれから3年、白とトラはもうすぐ5歳になるよ。

随分と落ち着いてきたし、チーやふぅと比べると同じ猫なんだろうかって疑いたくなるほど色々な能力が高い。

だけど、ニャアちゃんにはかなわない。
ニャアは狩りのうまさも、走る速さも三段跳びの距離も別格だった。
そして何よりも甘えてくれるし、お腹を見せてゴロゴロしてくれるし、いつも人に寄り添っていてくれたね。
家の中で悪戯はしないし、白が悪戯しようものなら、ネコパンチして唸って叱っていた。
まったくよくできた母猫だった。
ニャアは家に突然現れた時、なんだか小柄でやせっぽちで、でも十分に落ち着いていたから、2歳位かなって思ってた。
そうだとするとニャアがうちにいてくれた1年と10か月を足してもニャアは4歳にもなっていなかったことになる。
白トラの事を考えただけでも、本当にそんなに若かったのかなって思ってしまう。
野良のようで、でも家猫の経験もあるようで本当に不思議な猫だった。
あんなに頭がいいニャアがどうして事故にあってしまったのか。
白トラはニャアにはかなわないけど、ニャアよりもずっと長く家にいてくれてる。
ときどき旦那さんが言う。
「ニャアって家に来てくれた時から、いつかいなくなっちゃうんじゃないかって言う漠然とした不安があったよ。」って。
何処からか現れて、白トラという子孫を残し、そして我が家を完全に縄張りとし、そして白トラを十分にやっていけるように教育した。
「白とトラにこの家を残して、ニャアはまたどこかへ行こうとしていたんじゃないんだろうか。」
白には戦いを教え、トラには狩りを教えていた。
白は塀の外をしっかりと守り、家の敷地内はトラが守っている。
それはすべてニャアがそうなるようにしていったのではないのだろうか。
ニャアが死んでしまった事がきっかけで、猫嫌いの義父が白トラを家の中に入れることを許してくれた。
すべてはニャアのおかげ。
今でも後悔している。
ネコ写にはまり、毎日カメラをぶらさげて写真を撮っていた。
だけど、次第にニャアよりも白トラにカメラを向けることが多くなっていた。
風景に溶け込んでしまうキジトラよりも白やトラの方が見栄えよく撮れる、そういう思いはなかっただろうか。
ニャアの最後の写真。

優しい、だけど何となく寂しそうな顔をしているように見える。
この時、ニャアは何を考えていたのかな。
もっと可愛い写真をいっぱい撮ってあげればよかった。
あの日、ニャアは子供たちを残してどんな気持ちで出掛けたのだろう。
いつもと変わらないパトロールだったのかな。
自らこの家を出たなんて思いたくない。
でもあのニャアが、車が近づく音に気が付かないはずはない。
一体何があったのか・・・。
何度考えても分からない。
この気持ちはこれからもずっと続いていくと思う。
ニャアちゃん、今どうしてる?
ニャアに会いたいよ。
抱っこしたいよ。
早く生まれ変わって、また戻って来てよ。

「猫に九生有り」って言葉を旦那さんに教えてもらった。
猫は9回も生まれ変わることが出来て、生まれ変わってくる時には前世の記憶とかが残っているって。
ニャアがもし若かったとしたら・・・。
「あれだけの能力を持ってったんだもの、きっと5,6回目くらいだったのかもね」って言う。
そっかー、家にはチーとかふぅとか新しい猫が来たけど、あの子たちは前世の記憶なんてあまり持ってなさそうだね。
特にふぅなんて、猫生1回目かな?

ぜったいにニャアの生まれ変わりじゃないねぇ。
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