これは、発達障害がある子のみ、受験する前に、志望学校にて、親子で志望校の先生とお話しする面談でした。
面談では、かなり突っ込んだお話を質問されました。
小学校時代のイジメの話。
どのように気持ちを切り替えたか。
今の中学校で、学んだ事。
登校状況。
今の中学校での、楽しかった思い出。
そして自身の発達障害で苦手な事と、得意な事
などなど。
質問の内容も、興味本位等ではなく、暖かく、息子自身の口通して、息子を理解したい。という気持ちが伝わる内容でした。
息子を分かろうとしてくださる。
それが、ありがたく感じました。
軽度とはいえ、発達障害という診断名を付けたのは、ある意味、私。
息子は凸凹が激しいタイプで、元々専門職だった私自身が、違和感を感じて受診。
(私は独身時代、福祉系の学部卒業後に施設保育士をしていて、発達障害の子を担当していました)
当時の診断基準は、知能検査プラス、母親の子育て上の違和感(生活面での違和感)。
知能指数は標準よりも上だった息子は、母親の違和感の方に重点が置かれ、発達障害児となりました。
けど、もしかしたら私が母親じゃなかったら、やんちゃな子だわ〜。と、苦笑いされつつ、グレイのまま過ごせたかもしれない。
診断を受けた方が、学校での配慮や支援を受けられて、本人にとって楽になる。成長できる。と、決めて最終的に、ドクターに診断をお願いしたのは、私自身。
そのおかげ様で、あらゆる専門家の方からご支援いただき、今まで息子は成長してこれた。
これは間違いない。
おかげ様で、ありがたい事に、毎日を穏やかに過ぎせるようになった。
空気を読むことを覚え、いい意味での鈍感力を身につけられた。
仕方ない、大丈夫!と、気持ちを切り替えられるようにもなった。
お友達と一緒に校庭を走り回れる放課が楽しみ。と、笑顔で言えるまでになれた。
けど、成長の節目ごとに「発達障害児」がついて回る・・・。
と、少し息子に、申し訳なく感じつつの、面談でした。
けれども、長男自身は、自分の障害について、きちんと志望校の先生に説明し、
中学校生活の3年間で、何ができるようになったのか。何を学んだのか。
けれども、自分が苦手な部分はどこなのか。を、きちんと説明することができました。
私はただ少し、付け足しをしたり、説明をしただけ。
ありがたい事に、息子の態度や説明を聞いて、受け入れて頂ける。とのお返事をいただけました。
そして高校側のお返事を踏まえて、中学校の先生方からも、推薦が頂けることになりました。
まだ第一歩。
長い息子の人生の中の、ほんの少しの一歩です。
幼稚園時代。
息子が起こすトラブルに涙し、小学校時代はいじめられて泣いて帰ってくる息子と一緒に涙し、私自身も学校と家との往復。学校の先生からの電話が、怖かった。
親子カウンセリングに通いながら、藁にもすがる気持ちで、茶々をセラピーキャットとして家に招き、
兄弟。猫兄弟も一緒に成長してきました。
茶々が来てからの心の成長は、目をみはるほどでした。
まだまだ、人生どんなことが起こるかわかりませんが、
高校の先生の目の前に座り、自分の障害を前向きに捉えて、きちんと自分の言葉で自分のやりたい事を語れた息子を見て、この子はきっとちゃんと生きていける。と、少し、涙が出そうでした。
猫話、少なくてすみません。
受け入れて頂けた。ということが嬉しくて、つい書いてしまいました。
とはいえ、推薦=100%合格
ではありませんし、まだまだ高校生活からが新しいスタート。
今までの二人三脚はもう出来ないので、これからは自分自身の力で生きる力を身につけてほしい。と、願うばかりです。
最後に。
駅までの道すがら、なんだか励ましてくれているかのようにこちらを眺めてくれていた、レア猫さん達にも、感謝です♪
そしてもちろん、このお二方にも感謝です。
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