さて、9月1日応募した作品の結果でありますが残念な事に一次予選通過にはなりませんでした。
応募したのはユナイテッドシネマが主催する、第3回シネマプロットコンペティションでした。
応募総数、892作品だったそうです。
犬童一心監督部門 テーマ「猫」
いちばん人のそばにいる動物「猫」をテーマにしたプロットを募集します。
これに飛びついたわけであります。
猫の作品を募集しているのは初めて見つけましたので、あわよくば「グーグーだって猫である」のように我が家の二匹が映画になるかもしれないと淡い夢を抱いたのであります。
ところがこの応募数、まして文学とはほど遠いところで生きてきた人間、素人の書き物がそうそう選ばれるわけはなかったのであります。
現実は厳しいということでしょう。
しかし、充実しておりました。
我が家の二匹の為と、一ヶ月ほどをこの公募の為に日夜費やし、書き連ねてまいりました。きっと、二匹は落選しても許してくれるでしょう。
最近、以前よりは少しはマシな文章が書けるようになったのではないかと感じております。
実話を元にしておりますので、多少のオーバーな表現はしましたが、感動を呼ぶように大げさなフィクションを書き込めませんでした。致し方ないことです。
実話はこの日記サイトで連載させていただきました、
「ゲンさん奮闘記」
であります。
公募にも落選したので公表しても差し支えないかと考えて下記に作品を掲載いたします。
しかし、今回の落選でいつか必ず公募で受賞するぞという新たな闘志が湧いてきました。もし、猫に関する作品公募の情報御存知の方がおいででしたらお教え下さい。
まあ、慰め代わりに読んでいただくとありがたいです。原稿用紙10枚分です。次回の励みにいたしますので感想など頂けるとありがたいです。
あー、それにしても残念だったな。
そんな事とは関係なくのんびりしている二匹です。
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by主のゲン
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「家族記念日」
著 ゲン
夏休みも終わりに近付いた八月下旬。
中年おやじのゲンさんは、寝苦しかった夜を吹き払うようにカーテンを開け放った。
ふと足元を見ると、ベランダの水やり用に置いていたジョロから白い物が顔を出している。綺麗な青い目をした真っ白い仔猫だ。猫はジョロから出てきて足元でスリスリし始めた。ミャーという鳴き声で我に返ったゲンさんは「仔猫がいる」と部屋の中に叫んだ。
声を聞いて三人の子供達が飛び起き、次々と顔を出してきた。
次女は可愛いと言いながら、二ヶ月にもならないようなハンディサイズの子猫を、手のひらに乗せて三階のテラスへ連れて行ってしまった。そこには、すでに一見して野良猫と分かるうす汚いガリガリのキジトラがいた。
この猫、ゲンさんのお店に一ヶ月ほど前から姿を現していたのだ。毎日、何処からともなく現れて、店先でゴロゴロし、何の悪さをすることもなく、また何処かへ去って行く。
実はゲンさん、大の猫嫌いであった。店先の花壇の雑草を抜き、花を植え替えると必ずといってよいほど野良猫が来る。それも夜中に来ては臭いものを、御丁寧に土まで掛けて隠して行く。家に帰れば車の上に寝転んでいる。お前は誰だと言う目で見ながら、近付こうとすると脱兎のごとくに逃げていくのだ。この、根性が気に食わない。
「誰の家だと思っている」と文句の一つも言ってみたくなる。そこで、目の敵にして、箒を持って追い掛け回す日々なのであった。
ところが、こうも毎日定刻に来られては気になってしょうがない。悪さをすれば懲らしめられるのだがそれをしない。ついに、お客さんの後ろを付いて店内に入ってくるようになってしまった。その度に店員に連れ出されては、表で寝転んでいるのだ。この痩せた野良猫のあまりに無防備な姿に、死んでいるのではないかとしゃがみこんで見ていく人や、突っついていく人が現れた。その度に向きを返るだけの野良猫。
お店がお盆休みに入った時も、いつものようにゴロンと横たわっていた。猫の事が気になり付いてきた末っ子が、可哀想だから連れて帰ろうよと言い始めた。すると、いつ死んでもおかしくないような痩せっぽちの野良猫が段々不憫に思えくるのである。
それより数ヶ月前。自宅の駐車場に、後ろ足が異常な方向に曲がり、血を流している傷ついた仔猫が現れた。仔猫は鳴きながらも人間が近付くと飛び跳ねて逃げ、居なくなると戻って来て鳴いていた。猫嫌いのゲンさんであったが、あまりの痛々しさになんとかならないものかと保健所に連絡をしてみた。
ところが、処分する為の捕獲はするが助ける為の保護はしていないという返事だ。自分が住む町の行政の冷たい対応に心を痛めた。動物病院へも連絡してみたが、とにかく捕獲して連れてきてもらわなければ処置の施しようがないとの事である。
しかし、大の猫嫌いのゲンさんには野良猫を捕まえる術がなかった。苦慮するうち仔猫は痛々しい姿のまま何処かへ行ってしまった。その後見かけることはない。
しかし、手を差し伸べてやれなかったことがずっと悔やまれていたのだ。
行政の冷たい対応よりも、子供の優しい気持ちが嬉しかった。そこで、助けてやれなかった仔猫への償いの気持ちも込めて連れて帰り、二週間ばかりが過ぎたところであった。
キジトラは元気になるまでのつもりだった。そこへ透き通るような青い目をした真っ白い仔猫が現れた。どうせ世話するならこっちがいいよな、なんて子供の前で言えたものではない。外見で命の尊さを比べるような事だけは出来ない。
「どちらも同じ一つの命。外見で差別してはいけない。世話をするなら一緒にしよう」
子供達がキジトラをチップ、仔猫をホワイトと名付けた。
この日以来、猫嫌いだったゲンさんの格闘が始まったのだ。猫については何も知らない。インターネットを介して調べまわった。蚤と寄生虫の駆除に動物病院にも連れて行き、予防注射も済ました。
しかし、ここで思いがけない事を告げられることとなる。青い目の白猫は劣性遺伝の事が多く、障害を持って生まれてくることが多いというのだ。
先生はホワイトの死角に回ると思い切り一回拍手した。驚いたのはキャリーに入ったままのチップの方だ。耳を立て、何事かとしきりに動かしていた。一方のホワイトは何事も無かったように診察台で座っている。もう一度、同じ事がされた。二匹の反応もさっきと同じだった。
「今、見ていただいたようにホワイト君は大きな音にも全く反応していません。残念ですがこの子は生まれながら耳が全く聞こえていません」と告げられたのであった。
家猫の寿命は十五年から長い猫で二十年以上、それが野良猫では三年から五年になるそうだ。その上、障害を持って生まれた白猫の場合は、外敵にも見つけられ易く、さらにその半分位の寿命になってもおかしくないとのことであった。それでも家猫として世話をすれば耳以外の感覚が発達し、他の猫と同じくらい長生き出来るとのこと。家族がホワイトの耳となって世話をすれば何も心配はいらないと告げられた。
衝撃的な話にゲンさんはさすがに落ち込んでいた。まさか、耳が聞こえないなんて。家に帰ると皆が信じられない思いで無邪気なホワイトを見ていた。
その日以来、人が部屋に入ってきたのを気付かずに、背中を向けて外を見ているホワイトが切なくなった。声を掛けても振り向かない、やっぱり聞こえていないようだった。
その後は順調に育った。それに伴い元気が出てきたのか、チップにオス猫としての本能が目覚め出していた。スプレー行為を始めたのだ。これは室内飼いの猫にとっては深刻な問題だった。去勢すれば改善されるとこ事であったが、動物はもとより、植物でも昆虫でも子孫を残すと言うことは、生命の根源に関わることなのだ。人間と暮らしていく上で都合悪いからと、勝手な言い分で生命の倫理に関わるような行為をして良いものか。世話を始めた時には考えもしなかった難問に直面した。一人では到底解決できない問題であり、飼っている人に聞いたり、書いてあるものを読んだりした。
最終的には獣医に助言を求めたのであった。「人間と一緒にいることで、短い野良猫の寿命が延びる。そのために必要な処置と考えられないでしょうか。どちらが幸せか、選ぶのは飼い主さんです」こう告げられたのである。
オス猫のホワイトもいずれ同じ行為を始めるだろう。一緒に暮らすことで長生きできるのであればきっと二匹も許してくれるのではないだろうか。長生きし、それ以上に幸せに過ごさせてあげればいいのだとやっと納得できた。
春には無事に去勢も終わり、穏やかな日々を過ごしていた。
ゲンさんは毎日飲んでいたコーヒーを止め、酒の量を減らし餌代に当てていた。
一方、ペットを飼うことに反対だった動物嫌いの妻は、未だ触ったこともなかった。世話は全てゲンさんと子供達に任せている。
猫嫌いだった中年おやじも無事に一年間、猫達と過ごすことができた。
ところが、野良猫の宿命、誕生日が分からない事が気の毒で仕方ないのであった。ホワイトの誕生日はおおよそ推測ができても、チップに至っては年齢も定かでない。
八月下旬、ゲンさんの誕生日に妻がプレゼントを持ってきた。なんだろうと包みを開けてみると色違いの首輪が出てきた。
それぞれに二匹の名前と連絡先が刺繍されていた。何も言わずとも夫の様子から妻は悩みを感じ取っていたようだ。そこで密かに名前入りの首輪を注文していたらしい。脱走しても野良に戻らなくて済むようにとの配慮も込めてであった。
「誕生日が分からないくらい良いじゃないですか、野良猫として生まれてきた日より、家族となった日の方嬉しいと思いますよ。世話する決断をした九月一日を記念日としたらどうです。一年間、家族を癒してくれたプレゼントですよ」
猫の毛一本洋服に付いているだけで嫌味を言っていた妻が、家族と認めてくれた。優しい心のこもった贈り物。猫が来て、家族みんなが優しくなったようだ。年頃の娘と父親の隔絶など存在しない。いつも中心に猫がいる。これで本当の家族になれた気がした。
九月一日。
「家族記念日」
みんなで祝ってあげた。もちろん主役はチップとホワイトだ。
そこには、出会った頃には考えられなかった甘えん坊になったチップと、いつもお澄まししている孤高の貴公子ホワイトがいた。優しい家族に囲まれた二匹は窓辺で満ち足りたように寛いでいる。
思い返すと、チップは出会ったときから仔猫だったホワイトと我が子のように接していた。いつもそばにいて、グルーミングもしてあげていた。寝る時は重なるように寄り添っていた。もしかしたら、チップだけはホワイトの耳が聞こえない事を最初から知っていたのかもしれない。親代わりとして、守っていたのだろうか。トイレの躾をしたわけでもないのにホワイトはちゃんとできた。仔猫にも関わらず悪戯もしなかった。全てチップが教育したのだろうか。猫の神様が、野良猫への偏見を失くす為に遣わした使者ではないかと思いたくなる不思議な猫であった。
このような二匹と出会ったゲンさんの家は、今日も笑顔で満たされていた。
おしまい(原稿用紙10枚)
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