哀れが中の哀れなり
悲しい哉 悲しい哉
悲しみが中の悲しみなり
哀しい哉 哀しい哉 また哀しい哉
悲しい哉 悲しい哉 重ねて悲しい哉
これは弘法大師(空海)が弟子の智泉が亡くなった時に詠んだ歌です。
あの! 空海でさえ、大いに嘆き悲しんだ。
養老先生のまるちゃんが亡くなりました。
昨日、放送された番組を視ながら涙が出ました。
歳をとると、涙もろくなります。
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元気だった頃のまるちゃんです。
典型的なスコ座り。。。
この画像は第1回目の放送から。。。
何年前だろう?
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養老先生は言います。
言葉には限界がある。
他人が痛い、苦しいと言うのはなんとなく理解は出来るが、どう痛いのか? どんなに苦しいのかは本人しか分からない。
言葉は不完全である。
(昨年の12月)まるが、ある日いなくなった。
ネコは死ぬとき、隠れてこっそりと死んでいく。
裏山に隠れていたまるを見つけ出し、治療をした。
まるにとっては余計なことだったのかもしれない。
誰でも自分の死が不安なのは当たり前。
不安があって当たり前なのだから、その不安とどう折り合いをつけるか。
そもそも死とは? 二人称であり、他人の死を死と言うのである。
(自分にとって)自分の死は存在しない。
親しい人の死を通して、自分がどう変わるのかが「死」の意味である。
空海と相通ずるものがありますね。
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空海ほどの偉大なお大師様も一番弟子が亡くなったことを悲しみました。
愛別離苦ですね。
養老先生の悲しみも映像を通してひしひしと伝わってきました。
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知の巨人も大いに悲しむくらいだから、凡人の私はいかばかりでしょう?
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今の私には。。。
想像がつきません。
分かったのは、大いに悲しむのが当たり前だ、と言うこと。
このドキュメンタリー(全6作)は繰り返し、繰り返し視たいと思います。
(前回の日記)悲報
↓
https://www.neko-jirushi.com/diary/242492
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