一
見返り岩の周りにはぞくぞくと猫たちが集まっていた。泉の周りにいた猫と、橋のたもとでピースに別れを告げに行った猫たちだ。みんなピースの様子が気になっているのだ。
山陰から太陽が姿を現し始め、真っ黒だった空が次第に色づき始める。青く透き通る空と緑の山の稜線がくっきりと見渡せるようになってきた。
三日ぶりに届いた陽の光だった。丘陵に朝日が当たると誰からともなく感嘆の声があがった。
「やっぱりお日様は気持ち良いな」
チップは朝日を独り占めするかのように大きく背伸びをしていた。みんな三日分の日差しを吸収するように寛いでいる。おなかを上に向け寝転んでいる猫もいた。
どの顔も優しい表情をしている。
見返り岩の上ではすでにヤマネコが瞑想していた。
ヤマネコの脳裏には我が子が浮び上がっていた。
母親の胸ですやすやと眠っている。人間たちも遠くから見守っていてくれている。今では人間たちを信頼し、任せられる心の余裕が生まれていた。ヤマネコは遠い場所から我が子の成長を見ることしかできないが、何も心配することはなくなった。
「何、見ていたの」
ヤマネコがほっとした表情で瞑想を解いた時にチップは声を掛けた。
「俺の家族を見ていたんだ」
そう言うヤマネコの瞳に優しさがこもっている。出会った当時のギラついた眼差しではない。
「そうか。現世に子供を残したままだったからね。元気そうだった」
「ああ、人間たちも遠くから見守ってくれている。すやすやと眠っていた」
ヤマネコには安堵感が漂っていた。
「ピースはどうしているだろう」
チップは自分で見ることが出来ないもどかしさに集まった猫たちの気持ちを代弁して聞いてみた。
「分かった、今見てみるから」
ヤマネコは再び目を閉じ瞑想を始めた。以前とは違い、すぐにピースが脳裏に浮かび上がってくる。親子のように強い絆で結ばれた証だ。ピースも心のどこかでヤマネコに感謝しているのだろう。
明るい朝日の差し込む部屋で、ピースは女性の手に握られた哺乳瓶からミルクを飲んでいた。
まるでここへやってきたとき、おばさんのお乳にむさぼりついた時のように。その目は女性を真っ直ぐに見つめている。
横では白衣の男性がもう大丈夫と言わんばかりに暖かい眼差しで見守っていた。
女性の横には別の男性がいた。
ピースの頭を撫でている。きっと女性の夫だろう。目が覚めたピースの事が心配でいられなかったのだろう。ピースの事も何も心配はいらないようだ。
夫婦のもとで幸せな生涯が送れそうだ。
ヤマネコは見えるままにみんなに話して聞かせた。
見返り岩に集まった猫たちからは感嘆の声があがった。
中には嬉しさのあまり涙を流す猫もいる。
おばさんも安心したように微笑んでいた。チップが一本松で初めて会ったときに見た、周りに背を向けて生きている暗い目ではなかった。全てを成し遂げ、充実した優しさのこもった眼差しだった。
「もう安心だ。太陽も昇ったし」
チャコ麻呂が言っていた。
「泉の水はどうなんだろう」
初島の猫が心配している。
「泉の水も回復しているよ」
来る途中、泉の様子を見てきた小鳥が教えてくれた。
「ピースは僕達の事覚えているかな」
チップは横にいるおばさんに聞いてみた。
「いいえ。覚えていないでしょう。目も開けずに過ごしましたから。それに覚えていては辛いかもしれませんよ。亡くなったものだけが来ることができる場所に思いを募らせていては現世での生活を堪能できませんよ。寿命を全うしここへやってきた時に思い出してくれればいいのではないですか」
おばさんは小さく首を横に振ると優しくチップに言った。
「そうだね。ピースが元気に暮らしていることの方が僕たちも一番嬉しいものね」
チップに寂しさは見られなかった。明るい声で応えている。
「おばさんは一本松に戻るの」
前足を揃えて大きく伸ばし、指先まで開いている。背中を反らせたストレッチをしながら聞いている。
「いいえ、もう戻る必要はなくなりました」
おばさんは吹っ切れたような表情で遠くの空を見ている。
「どこに行くの。おばさんは行方不明の子供に会うまで一本松に居るって言っていたじゃない」
チップは体を伸ばしたまま、怪訝な表情で固まった。
「チップ。あなたはこの二日間で見違えるほど立派になりましたね。現世ではどのような暮らしをしていたのですか。少し教えてくれませんか」
おばさんはチップの問いかけをはぐらかすように聞き返してきた。
「ああ、良いけど」
どうしてそんな事を突然聞くのかと不思議に思いながらも姿勢を元に戻し、記憶を辿るチップだった。
つづく
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皆様、あけましておめでとうございます。

ご挨拶が遅くなりましたが、本年もよろしくお願いいたします。

新年にネコ写に投稿していた画像で再度御挨拶です。
さて、今回のお話いかがでしたか。
ピースの現世に戻り、元の平穏な丘陵になりました。
みんなが寛いでいます。
そんな雰囲気が出ていましたでしょうか。
次回はチップが生い立ちを話します。
1月30日の最終回までもう秒読み段階です。
次回もお楽しみに。
By ホワイト
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