近所の魚市場の前をバイクで通りかかった時、道路の側溝にかめのこタワシが落ちてたんです。
ハァー道路にタワシか、この季節よく落ちてるよね~
ん?
道路にタワシは、よく落ちてることなのか?
何か嫌な予感がして、戻ったんです。
タワシじゃなくて、猫でした。
これが、猫のタワシとの出会いでした。
石のように固まった小さな子猫を、ひょいと素手で捕獲しました。
職場には、事務のオバチャンのはからいで、具合が悪いから休みます、と言ってもらった。
鳥を飼ってるから、同居は無理だと思ってました。
だから里親募集するつもりでした。
でも、タワシも鳥も、ビビリだったw
お互いビビッて、手を出す事はなかったです。
里親は決めきれませんでした。晴れてうちの子になりました。
拾ってすぐ、ごはんを食べなかったので、病院連れて行きました。
多分母子感染の、猫エイズでした。
でも、みんなが発症するわけじゃないから、1匹で飼ってるし、15年くらいは生きてくれるんじゃないかと、なんの根拠もなく思ってました。
去年6月くらいからごはんの食いつきが悪くなり、体重もちょっとずつ減ってきて
7月になってもそれは止まらなかった。
もうすぐ予防接種で健康診断もするから、その時に相談しよう
そう思ってて、なかなか捕獲ができず、病院に行けたのが8月。
貧血がひどいので、エコーしましょう。ということでした。
脾臓になんか見える。脾臓を検査してみないとわからないけど、針を刺すとそれで死んじゃう可能性がある。
取ってみるしかない、と言われ、8月末に手術しました。
でも、脾臓はきれいでした。
脾機能亢進とのことでした。
多分その時には、既にエイズ発症してたのだと思います。
取っても取らなくても、多分結果は大差なかったと思います。
それからタワシ、治療を頑張りまして。
飼い主は仕事をしているけれど、不規則な仕事をしている夫に手伝ってもらったりして何とか平日もできるだけどっちかが居れるようにしました。
仕事で2人とも不在になる時は、部屋にカメラを付けたので、それで様子を確認していました。
そして、何とか年を越せました。
私の職場、年末年始の休みが長いんですよ。
なので、何とか正月休みになってほしかった。
行ってくるねって毎朝言って、また明日ねって毎晩布団に入りました。
12月に入って自分でごはんは食べていたのですが、ごはんの上澄みしか舐めない。
後半は強制給餌をしていたのですが1月に入ると強制もごはんが入ってからのもぐもぐする力がなくなりました。
ほとんど水みたいなごはんなのに。
1/8、もぐもぐができないので、もう覚悟を決めないとダメか?
と思って「また明日ね」で寝たら
1/9、ちゃんと起きてきました。
でも、いよいよごはんを食べる口が全く動かなくなって
私自身もちょっとおかしかったのかなって思うんですが、(私が)ボロボロ泣きながらほとんど水のごはんを2mlくらい口に入れました。
「また明日ね」
なんとなく、写真を撮って寝ました。
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1/10 1:38
家族が寝静まった後、タワシは静かにお星さまになりました。
9歳8か月でした。
治療をして5か月でした。
ゆっくりゆっくり、お別れの時間を作ってくれました。
その瞬間は別の部屋で寝ていましたけど、早い段階で気が付いてあげられたので、仕事行ってる間ではなく、家に居る時に一緒にいれてよかったなと思います。
ちょっと見る勇気がなく怖かったのだけど、カメラをみたら、そんなに苦しんでいる様子はなかったです。
まぁ本ニャンはずっと前から苦しくてつらかったかもしれないですけど、エイズってもっと壮絶なイメージを持っていたので、寿命で亡くなったとしてもきっとこんな感じなんだろうなぁという亡くなり方だったと思います。
亡くなった瞬間、私起きてたんですよ。
スマートウォッチを付けてるので、何時に起きてるか記録が残るんですよね。
私が起きたからタワシも起きたのか、タワシが起きたから私が起きたのかはわかりません。
私はすぐ寝てしまったものの、何となく胸騒ぎがして、4時くらいに起きました。
暗くて静かな朝でした。
まだおなかはぽよぽよしてて、まるで生きてるかのようでした。
私を心配させたくなかったのかな。
いいように解釈しているだけかもしれないですけど、そう思うことにしました。
タワシは最後まで風呂場の見学とごはんに執着してまして。
最後の最後、1週間くらい前かな?なぜかカリカリが食べたいと申しましてふやかしていないカリカリを食べました。
ちゃんと自分で噛んでいました。びっくりしました。
それがちゃんと消化できて💩で出たかはわかりません。
食べなくなった後も、最後に新しく出したチーズささみのおやつがいい匂いだったみたいで口に含んでは食べられずにぽろっと出ていました。
きっとおいしそうで、食べられるもんなら食べたかったんだろうなぁと思います。
12月に入ってからは新しく出したご飯しか食べたくなくて、毎日5~10種類のごはんをふやかして温めて、一口ずつおせちのように用意してました。
30分かけて用意したごはん、一口も手を付けずに捨てることもありました。
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ドアを開ける時閉める時、
疲れてソファーにどかっと座る時、
脱ぎ捨てた服の中。
もう何も気をつけなくていい。
切り花も飾れるし夜もおなかが空いたと起こされることはない。
脱衣所から風呂場を覗けるように、脱衣所のドアをちょっとだけ開ける必要もないし
インコを出す時、猫をケージに入れなくてもいい。
脱走防止の二重ドアもキッチンのドアもカウンターのドアも不要になったので外しました。
キッチン、こんなに広かったんだ?って思いました。
こんなところにいるはずもないのに。
山崎まさよしの歌みたいなポエムになっちまった…
亡くなったその日、休みを取りました。
体調が悪いのでって言いました。保護したあの時と同じように。
1日くらい手元に置いておきたい気持ちもあったのですが、火葬がなんと約2週間待ちだそうで。
そのまま冷凍庫で預かっていただけるということなのと、体をできるだけきれいなままにしてあげたかったので、亡くなったその日に預けてきました。
タワシが行った外出先はほとんどありません。
一番行ったのは最後に診てもらっていた病院で、最初のころは週2回くらい行ってたと思います。
出会ったあの魚市場は跡形もなくなって、今は高級マンションになりました。
病院に行くときのようにタワシをバイクの背中に乗せて、
魚市場向かいに昔からある花屋で小さな花束を買い、
こんな場所で一緒に日向ぼっこしたかったなぁと思って近所の公園の前を通り、
最初にお世話になった動物病院にご挨拶して、
最後まで面倒見てくださった病院に注射器返却がてらご挨拶して、
火葬に預けてきました。
25日に正式にお空に上ります。
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最後、いろんな種類を用意して頑張ったごはんは、未開封はすべて近所の猫カフェに寄付することにしました。
元々野良猫だったのだから、タワシにあげるのも地域猫にあげるのもニアリーイコールでしょ?
食べてくれたらきっとタワシも喜ぶんじゃないかな。
タワシもきっと天国でたらふく食べてるよきっと。食いしん坊だから。
本音を言うと、つらいならつらいと甘えてほしかったところもありますが(笑)
最後までトイレの失敗もなく、夜中にこっそりとか、何よりもお正月に濃い9日間を一緒に過ごさせてくれて、本当飼い主思いのいい子でした。
飼い主の自己満足ですが、飼い主としてやれることはすべてやった。
全くないと言えばウソになりますが、おかげで悔いなくお別れできそうです。
タワシ、大切なことを沢山教えてくれて、本当にありがとう。
治療の話はまたいつか、誰かの役に立てればいいなと思うので気力と記憶力があったら書くかもしれません。
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