家から200m位だけど、この道は普段通らない。
珍しいね、最近は桑畑もすっかり見なくなってきた。
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群馬は昔から養蚕が盛んに行われてきた。
養蚕とは蚕(カイコ)に桑の葉を食べさせて育て、大きくなったカイコが糸をはいて作った繭を収穫する農業。
繭から絹糸をつくり、絹織物ができる。
ゾッチャが子供の頃はどこもかしこも桑畑だらけだった。
学校帰りにはドドメ(桑の実)を食べながら手や口のまわりを赤紫にして帰ったものだった。
小学校の夏休みは近所の農家からもらったオカイコ(御蚕)の観察日記なんかをつけたりした。
農家で御蚕が上がるときには、近所中の主婦がお手伝いに行った。
ゾッチャの母は虫が苦手だし、桑の葉にかぶれたりする人だったけど、お付き合い上、お手伝いに行かないわけにはいかないらしかった。
いつの頃からか、桑畑が消えて行った。特に気にはならなかったけど。
ゾッチャの子供達が小学生の時、県内にある「日本絹の里」というところに行って、「オカイコ飼育セット」というのをもらってきた。もちろん夏休みの宿題ネタの為に。
そこで驚いたのは、オカイコの餌が桑の葉をペースト状にしたものたっだから。
考えてみれば桑の葉が近くの農家に行って簡単にもらえる時代ではないしね。
家の周りにあったはずの桑畑もいつの間にか麦畑になっていた。
義父がオカイコに繭をつくらせるときは「まぶし」というマスに入れるものだといいだした。
近所の農家、近くのJAなどに問い合わせてみたけど、もう養蚕農家はないという。
無関心でいるうちに群馬というか、日本からオカイコがいなくなっていたのね。
あちこち問い合わせて、ようやく安中市(前橋からはかなり遠い)の一軒の農家に昔使ったものが残っていたので、分けてもらえた。
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「県都前橋糸のまち」 紡績をやっている所もなくなった。
「繭と生糸は日本一」上毛かるたのあのフレーズは遠い昔のことだったのか・・・。
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世界遺産になった富岡製糸場。明治5年から操業。
歴史的価値のある遺産だもんね。
富岡製糸工場が閉鎖された昭和62年、その頃、県養蚕農業協同組合連合会が解散されたような。
養連が解散されたことの意味をその頃は気にしていなかった。
桑畑がなくなって、今頃になってなんだか寂しさを感じるよ。年かな。
あの頃は桑畑の間をウズラが走り回っていたよ。
ウズラはもう見かけない。
ここの桑畑は個人的にやってるか、絹の里のペースト餌の元用に作ってるのかな。
桑畑を出たり入ってりする猫達を見て、そんなことを考えていた。
今日はニャアの四十九日。
もうそんなに日が経つんだね。
時間は気がつかないうちにどんどん流れているね。
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