うちの鬼嫁が。
このバカちんが。
そんな言葉も、根底に愛が見えれば笑い話。
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「たーちゃんはおりこうさんでち。」
以前によく、「じーちゃんの犬」について、日記に書いていた方がいらっしゃいました。
どうしようもなく身勝手なお舅さんと、どうしようもなく躾のなっていない犬の話だったのですが、私はその方の日記、特に「じーちゃんの犬」の話が大好きでした。
毎回繰り広げられる犬の迷惑行為と、それを居直るじーちゃんの横暴っぷりが、実にユーモラスで、迷惑だ、迷惑だと書いている彼女の文には、血の繋がっていない家族への愛が感じられたからです。
もしも、彼女がネチネチとお舅さんの悪行を挙げ列ねたり、じーちゃんの犬の不幸を願うような事を書いていたら、私はきっと一度で読むのをやめていたと思います。
昔の青春ドラマでは、教師が生徒を殴ったりしますが、根底に愛がなければ、ただの暴力教師ですから、生徒はついていかないどころか、卒業式には返り討ちにあうでしょう。
金八先生が「このバカちんが。」と、言ったところで、生徒がへらへらしているのは、愛され守られているのがわかっているからで、決して野村のヨッちゃんの顔がヘラヘラしていたわけではありません。
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「愛だよ、愛なの。」
本気の暴言は見苦しいのです。
言葉も一種の暴力です。
それが家族に向けたものでも、動物に向けたものでも。
他人は黙って聞くでしょうけれど、素晴らしい事だとは誰も思いません。
聞き苦しいけれど、吐き出すところがないのは気の毒と、話が終わるまで耐えているだけです。
暗澹たる気持ちの中で、思い出した「じーちゃんと犬」
もしも、まだ、時々はネコジルシを覗いていらっしゃるならば、是非、続編を希望します。
そして今でも、じーちゃんと犬が元気に迷惑を振りまいている事を願います(笑)。
さあて、うちのおバカちゃんでも洗いますか。
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「ハッ!そうはいかないよですよ。」
(逃走5秒前の図)
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