三
「長老、レオさんを連れてきたよ」
一番先に駆けつけたのは四匹の中では一番若いチップだった。
下りなら得意なようだ。
「レオ、わざわざご苦労じゃ」
後から来たレオを長老が労わっている。
「泉の様子はいかがであった」
長老は泉の様子を早々に尋ねた。
「はい、私が見たところでも水位は下がっています。暗くてはっきりとはいえませんが輝きを失い、眠っているようにも見えました」
レオの表情が険しい。落ち着いた話し方ではあるが一言一言が重く響いている。
「時々湧き出る七色の輝きが水面まで届いていません。濁っているのでしょうか。もうここへ来て長くなりますが、こんなことは初めてです。長老はどのようにお考えですか」
レオは一歩先に出て前足を揃えて座り、長老を見上げていた。
「泉の水は、現世で亡くなった猫を偲び、人間が流す涙だと聞いておる。病気だった猫を心配し、事故で亡くなった猫を悼む涙が集まったものだと。その泉があるからこそ、ここでは皆が元気に安心して、癒されながら暮らすことができるのじゃ。その水が減るということは亡くなった猫たちの為、人間が涙を流さなくなったという事じゃろうか。まさか、そのような事はあるまい。人間たちは自らが亡くなった後には三途の川を渡り、かつて世話をしていた猫との再会に喜びの涙をながすというのに。そんな優しい心を持った人間たちが一人も居なくなったとでもいうのか。わしには信じられない。そこでそなたの意見が聞きたかったのじゃ」
長老は眉間に皺を寄せレオを見下ろしていた。
「私も長老の意見と同じです。全ての人間たちが、猫の為に涙を流さなくなることなどあり得ないと考えます。すると、可能性として残るのは」
「残るのは」
黙って会話を聞いていたチャーミーが我慢しきれずに乗り出している。
「ここに居てはならない者が紛れ込んだ場合です。泉の水があるからこそ私たちは、餌を確保する為のテリトリー争いも無く、安心して過ごすことができます。そこへ、泉の水を必要としない者が紛れ込んだとしたら、どうなるでしょう。泉は、我々が水を必要としなくなったと考え、出さなくても良いと感じるかもしれません」
難しい顔でレオは、チャーミーにも聞こえるように話した。
「水を必要としないもの者。どういうことじゃ。皆、現世での命を終えた者ばかり。泉の水を飲まなくて良い者がいるということか。生きたまま、ここへ来たものでもあるというのか。そのような事が起こりうるはずがない。現世とをつなぐ橋は亡くなったものにしか見えぬ。決して生きているものが渡ることは出来ぬはずじゃ」
長老の表情が益々険しくなっていく。
「仰るとおりです。しかし」
レオが周りにいるチップたちをゆっくり見回し言葉を続けた。
「誰かに連れてこられたとしたら、可能性がないとはいえないのではないでしょうか」
「どういうことじゃ。良く理解できぬが」
「まだ亡くなっていないときに間違って連れてこられたらということです」
出てきた言葉にチップたちが凍り付いていた。
「誰かに連れてこられた。まさか……」
チップがチャーミーと顔を見合わせて言葉を飲み込んだ。
「そのような事が。信じられん」
長老も気付いたようだ。目を剥いて驚いる。
「思い当たる節があるのですね」
レオは青ざめ立ち尽くすチップたちを見ていた。
「実は今朝、イリオモテヤマネコがまだ歩けぬような仔猫を橋のたもとから咥えてきたのじゃ。目も開いておらぬゆえ出産途中でなくなったのじゃろうと考えておったが。あの仔が生きておるということか。橋を渡ってからも目を開けぬのをおかしいと思ってはいたが。生きていようとは、わしとした事が……」
悔やむ表情の長老は、最後まで言葉に出来ずにいた。
「長老が悪いのではありません。誰も生きたままこの橋を渡って来たものを見たことなどありません。気付かなくて当然です。まだ、仮死状態だったのかもしれません。少し早くにここへ来てしまったのでしょう。しかし、その仔猫が原因ならば何とかしなければなりません」
レオが長老を慰めるように見上げている。
「信じられないピースが生きているなんて。どうにかして確かめる方法はないの」
チップが青ざめた表情のままでレオを見ている。
「それは鼓動を聞けばすぐに分かります。我々はすでに現世では亡くなっているもの。鼓動がありません。その仔猫がまだ生きているのなら、仮死状態とはいえ、小さく鼓動があるはずです」
「チップ、あんた一本松にいく時ピースを背負っていて気付かなかったの」
チャーミーがチップに詰め寄った。
「だって、まさか生きているなんて考えもしなかったもの。君だってすぐそばにいて気付かなかったじゃないか」
「チップにチャーミー。今は言い争っている場合ではないぞ」
言い争う二匹に呆れた長老が険しい表情のままでたしなめている。
「じゃあ、すぐに確認しに行こう」
チップは立ち上がるとすぐに駆け出そうとした。
「待て、チップ。ピースに鼓動が聞こえたとしたらいかがするつもりじゃ。よく考えて行動せねば。早とちりなのがお前の欠点じゃ」
長老はチップのはやる気持ちを抑え引き止めた。
「でもピースのことが」
長老の言葉に駆け出そうとしていたチップが悔しそうに立ち止まった。
「今ならまだ間に合うかも知れません。なんとかして現世に戻してあげることができないでしょうか。そうすれば、泉も回復すると思いますが」
レオが長老を見上げている。
「しかしじゃ。どうやって戻す。まだ目も開いておらぬし、自分で歩くことも出来ぬぞ」
「現世に命がある限り、こちらの世界での様子は変わることないと思います。まだ、目も開かずに歩く事が出来ないのは現世で生きている証です。今、どこにいるのです。それに現世ではどうしているのでしょう」
仔猫に会った事のないレオがみんなを見回している。
「ピースは一本松にいる母猫がお乳を与えておる。現世での様子は誰も知らぬ、ひとりじゃったからの」
長老にも良い考えが浮かばないらしい。
「見返りの岩に行ってみたらどうかしら」
黙って聞いていたチョコが遠慮がちに言った。
「あそこは、現世でかかわりのあった場所や人たちの様子を、本人だけが見ることの出来る場所じゃ。現世で仔猫にかかわりがあったものがいない以上誰も見ることが出来ぬ。我々ではどうしようもない」
長老の言葉に現実を突きつけられ、みんなが口をつぐんでしまうのであった。
つづく
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
いかがでしたか、今回のお話。
ピースの謎が一つ解けましたね。
第一話で橋を渡って来たとき、なぜ元気にならなかったのかその秘密が分かりましたか。
第一話に伏線を張っていたので違和感をお持ちの方もいたようです。これですっきり。
さて、前回は皆さんのご意見を募集いたしました。
ところが良く考えて見ますと、現世を見ることの出来る場所の描写もせずに、ふさわしい名前を考えてくださいなどとはあまりに身勝手な質問。
お詫びしますと共に、今回は主が考えた「見返り岩」という呼び名をそのまま使用する事にしました。
最後まで書き終わった時点で、皆さんのイメージでその場所にふさわしい名前をもう一度考えてみて下さい。
公募に出す際の推敲に反映いたします。
自分自身納得のいかない呼び名ですが、ご理解頂き読み進めてくださいますようお願いいたします。
御期待下さい。次回もお楽しみに。
さて、物語中で活躍するチップですが、実は猫じゃらしのネズミを頭に載せられても動じないおっとりさんです。
それでいて泣きべその甘えん坊です。
実物とは随分ちがう感じです。
これからの活躍に御期待下さい。
では、また。
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