二匹はゆっくり坂を下り始めた。
「どうして森の樹々は泉の水を降らせることができたのだ」
ヤマネコはチップの横を歩きながら聞いている。
「森の守り神である樹々が生きていく為に体の中に蓄えていた泉の水を、搾り出してくれたみたいだ。泉は人間の涙で出来ているんだ。ここは虹と涙で出来た場所。森の樹々が涙を流し僕たちを助けてくれたんだ」
チップはヤマネコを見ずに真っ直ぐに顔をあげ歩いている。
「そうなのか。そこまでして俺を助けようとしているのは何か訳があるのだろう、分っているさ、何をさせるつもりだ」
ヤマネコは疑い深かい眼差しをしていた。
「泉の水が減っている。君が連れてきた仔猫、ピースがまだ亡くなっていなかったんだ」
ヤマネコの体に電気が走ったようにピクリと動いた。
「僕たちは、現世に命があるうちに戻してあげたいと思っている。戻ることが出来れば泉も枯れる事はないはずだから」
チップは、横を歩くヤマネコを真剣な眼差しで見ていた。
「ここには見返り岩と言って、現世を見ることが出来る場所があるんだ。でも、現世で関わりのあった者や場所しか見ることが出来ないところなのさ。ここにいる猫ではピースの現世での様子を見たくても見ることが出来ない。見ることが出来るのは橋の向こうで関わりのあった猫、つまり君だけなのさ。今の様子が分りさえすれば現世に返す事も出来ると思ったんだ。お願いだ。力を貸してくれないか」
チップはヤマネコに向かい頭を下げた。
ヤマネコはチップを無視し、黙ったままで二三歩先に出ていた。二匹の間に沈黙が流れる。
葉先から落ちる水滴の音と、枯れ葉を踏むチップ達の足音だ
けが単調に繰り返されていた。
「それが仔猫にとって一番幸せな事なのか」
しばらくして、ヤマネコが先に口を開いた。
「君は現世に未練があるのだろう。まだ、生きていたかったと思っているのだろう。だからこそ天国へ上らずにここにいるはずだ。ピースはその現世にまだ命を残しているんだ。僕たちが帰る事の出来ない現世に。ピースを待っている人がどんな気持ちでいるのか。戻してあげようよ」
ヤマネコは歩きながら黙って聞いている。
「ただ、現世に過酷な運命が待っている時は僕にもどうしたらいいか分からない。だからこそ、見て欲しいのさ。今の様子を。そして教えて欲しいのさ」
チップもヤマネコも樹々から落ちてくる水でびしょ濡れだった。
ヤマネコは大きく見開いた目で前を見ている。足取りは以前とは見違えるほどしっかりしていた。
「あいつが生きていたのか」
迷っているのか、一言だけ言うとまた黙ってしまった。
何かを一生懸命に考えているようだ。黙々と泉を目指し歩いて行く。
「現世を見ることが出来る場所があるのか。関わりのあったところを」
突然、ヤマネコが立ち止まり遠くのほうを見ながら感慨深げに振り返った。
「関わりのあった者も見ることが出来るのか」
「そうさ。現世で関わりさえあれば見えるはずさ」
チップは大きく頷いてヤマネコを見た。
「分った。協力しよう。その代わり見るだけだぞ。俺は人間を許しはしない。俺の命を奪った人間どもを絶対に許さない。もし、仔猫が人間に危害を加えられていたらお前には教えないぞ。いいな」
ヤマネコの目の奥に強い輝きがみなぎっていた。森の中で倒れていたときにはみられなかったものだ。
「ありがとう」
ヤマネコにチップは頭を下げている。
「それじゃあ、急ごう」
二匹は坂を駆け出した。
樹々からは二匹に向かい水滴が絶え間なく落ちている。
しかし、前のみを見つめて走り出した二匹は、通り過ぎた後の森の異変に気付く事はなかった。
そこにあるのは、搾り出した数と同じだけの枯れ葉を落としていく樹々の姿であった。
つづく
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
いかがでしたか、今回のお話。
やっとのことでヤマネコが森を下ってくれました。
第五話は、森の中でのチップとヤマネコのお話で、他の猫さんたちの活躍がありませんでした。
次回から二匹が泉にやってきます。
また、長老やレオ、それにジャッキーが登場しますよ。
やっと折り返しまで来ましたね。
どうでしょう、少しはファンタジーになっていますか。
核心はこれからですよ。ヤマネコの現世での出来事やピースの様子が明らかになり始めます。

皆さん、お楽しみに。
Byホワイト
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