一
丘陵全体が薄暗くなり始めた頃、レオが泉へやってきた。チップがヤマネコを探しに森へ入った事など知らなかった。ヤマネコがいつ現れても良いようにチップが泉で見張っているものと思っていたのだ。
ところが、そこにいたのはジャッキーだった。
「やあ、ジャッキー」
レオは気さくに声を掛け近づいた。
「ええ、もう我慢できなくなって、長老に言われたように泉の水を付けていたのですよ。レオさんは泉の様子を見に来たのですか」
そう言ったジャッキーの体は泳いだように全身が濡れている。ブルンと体を震わせ、水を飛び散らせていた。
「まあ、そう言ったところです。少しは良くなりましたか」
「ええ、すっかり。でも、昨日から体調が悪くなる仲間が増えているような気がするのですが。やはり泉の影響でしょうか」
座ってグルーミングを始めたジャッキーの表情が曇っている。
「そうかも知れません。朝より減っているみたいです。ところでチップを見かけませんでしたか。ここで待ち合わせしていたのですが」
レオは泉の周りを見渡していた。
「ぼくが来たときは誰もいなかったですよ」
「そうですか。ありがとうございます。じゃあ、他に聞いてみます」
離れようとしたときジャッキーが思い出したように言った。
「そう言えば、森の中に入っていくホタルの塊を見たなあ。何だろうと不思議に思ったのだけど。関係あるかな」
立ち去りかけたレオは立ち止まり、振り返った。
「本当ですか。どれくらい前です」
「うーん、このあたりはもう暗かったけど。丘陵にはまだ明るさが残っていた頃かな」
いつもは夜になっても泉の底からは七色の光が輝いている。
亡くなった猫の為、人間が流した涙がさまざまな思い出とともに光り輝きながら湧き出て来る。それはまた、亡くなった猫がいるということでもあり、橋を渡る猫がいることにもなるのだ。本来なら皆が現世で幸せに暮らして欲しい。泉が輝かない方が良いのかもしれない。しかし、現実には亡くなる猫達がいなくなることはない。幸せに暮らしていた猫にも寿命がある。
ところがこの日は、雲に隠れて月明かりも届かない。泉の底からも輝きがない。辺りは暗くひっそりと静まり返っている。
ただ、ホタルが飛び交うところだけはほんのりと照らされていた。亡くなった猫がいなくて輝いていないというよりも、泉自体が眠っているようなのだ。輝くことを放棄したとでも言った方が分かりやすいかもしれない。
「ありがとうございます。じゃあ、ホタルたちに聞いてみるとしましょう」
レオはジャッキーに礼を言うとホタルが飛んでいる場所に向かった。
「少し前にチップを見かけませんでしたか」
レオは水面を飛ぶホタルに尋ねた。
「ちょっと前に森へ入って行ったぞ。暗いだろうと仲間たちも大勢付いて行ったが、どうかしたのか」
一匹が近寄ってきた。
「いえ、待ち合わせをしていたものですから、心配になりまして。分かりました。ありがとうございます」
レオは森の奥を見つめていた。
チップは一人で森へ入って行ったようだ。今さら追いかけても年寄りには追いつく事は出来ないだろう。はぐれれば余計な面倒を掛けるだけだ。
泉の水で耳のただれを治していたジャッキーも症状が消えたのか、気付いたときにはいなくなっていた。
いつもはたくさんのホタルが飛び交っている泉も、今は数えるほどしかいなかった。
多くがチップに付いていってくれたのだろう。
今のレオには泉のほとりでチップの無事を祈り、じっと待つことしか出来なかった。
つづく
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
いかがでしたか、今回のお話。
泉にいるはずのチップの姿が見えずに心配するレオです。
チップとヤマネコが一緒に山を降りてきていることもまだ知らないのです。きっと心配でしょうね。
でも、皆さんはもう知っていますよね。
さあ、次回は泉にヤマネコがやってきますよ。
どんな様子を見せてくれるのでしょうね。

窓辺で寛ぐチップです。
次回もお楽しみに。
Byホワイト
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