ヤマネコはもう一度、前足を揃え意識を仔猫に集中した。
丘陵に来る前、橋のたもとで見つけた仔猫。
もしかしたら我が子でないかと疑い一度は咥えてみたが、毛並みの違いに橋の途中で捨てようかとした仔猫。
あの仔猫が現世でまだ生きている。
仔猫を連れて来たために丘陵に異変が起こってしまった。すべて自分が引き起こした事だ。せめて今がどのような様子なのかを教えてあげなければ、チップから助けて貰った恩に報いる事ができない。
しばらくすると白いレースのカーテン越しに見るように景色が浮び上がって来た。
「見えてきた。飾り気のない白い部屋だ。どこだろう」
ヤマネコは前を向いたまま、レオに聞こえるように話している。
「はっきりしてきたぞ。檻のようなものがある。まさか捕まっているのだろうか。いや違うなあ、開けっ放しになっている」
ヤマネコが頭を傾げて考えていた。
「いた。仔猫だ。間違いない。柄といい大きさといい。俺が咥えてきた仔猫だ」
少し興奮気味に言葉をうわずらせている。
「あっ」
「どうしました」
言葉に詰まったヤマネコにレオは驚いた。自分も出来ることなら一緒に現世を見てみたい。しかし、橋の向こうでピースに接触が無かったレオにはどうすることもできない。固唾を呑んで見守るしかなかった。
「檻の中に寝かされている仔猫にチューブが刺さっているんだ。人間がいる。人間の仕業だ。白い服を着た人間がいる。仔猫の体に触っているぞ。とんでもないことをしているのかもしれない」
ヤマネコがうろたえ出した。
「慌ててはいけません。もっと大きな気持ちで見るのです。全体を。一方からだけ見てはいけません。落ち着いて」
レオはヤマネコが我を失い現世が見えなくなる事が心配だった。自分自身の焦る気持ちを悟られないように、ゆっくりと話した。今はピースの正確な状況が必要なのだ。
ヤマネコは大きく息をして、気持ちを落ち着かせようとしている。
「横に女がいるた。仔猫の手を握り締めている。何をしているのだろう。仔猫に刺さったチューブはケージの横にある透明の袋から繋がっている。これは何だ。見たことないものだ」
ヤマネコの言葉でレオにはおぼろげながら現世の様子が分かり始めた。
「そこは病院ではないでしょうか。ピースがいるのは檻ではなく、ケージの中に寝かされているのでしょう」
「病院?」
山で暮らしていたヤマネコには病院の中の様子は始めて見るものだった。そこが何をするところなのか見当もつかない。
「傷ついたり、病気になった動物達を元気にしてあげるところです。仔猫は人間によって賢明に治療してもらっているのではないでしょうか。横にいる女の人が仔猫の飼い主かもしれません。生きてくれる事を祈り、手を握りしめているのでしょう。今なら、間に合いますよ。すぐ仔猫を現世に戻してあげましょう。急がなければ」
しかし、ヤマネコはそこから動こうとしなかった。
「どうしたのです」
レオは心配しヤマネコの様子を伺った。
「人間が猫の為に祈り、治療するなんて。そんな事が……」
ヤマネコは言葉が続かないでいる。そこには、近寄りがたい雰囲気があった。
レオが見つめていると、ヤマネコの体から黒い霧のようなものが抜け出してきた。
頭上に漂い、しばらくすると空中で弾け消えた。まるで今まで持ち続けていた人間に対する憎しみの気持ちが抜け出てきたようだった。
ヤマネコはレオを振り返った。その顔にはもう涙はなかった。隙を見せないようなギラついた表情はなく、穏やかなものだった。
「チップのところへ急ごう」
ヤマネコが言った時だ。見返り岩より少し下手の方にある広場から猫たちの争う鳴き声が聞こえてきた。
「何だ、今のは」
「広場の方からです。何があったのでしょう。行ってみましょう」
二匹はすぐに立ち上がり、駆け出すのだった。
つづく
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
いかがでしたか、今回のお話。
ついにピースの現世での様子が分かりましたね。
皆さんが想像されていたようなものだったでしょうか。
どうやら病院で治療を受けている模様です。しかし、予断を許さない状況のようですよ。
早くしないと。
ついにヤマネコの人間に対する憎しみが消え去ったようです。
良かったですね。
でも、新たな事件が。どうなるのだろう。それはまた次回。
お楽しみに。
さて、「長崎ねこ」学会ではシンポジウムが開催されるらしいですよ。
お近くの方は参加してみてはいかがです。
http://www.nagasakineko.com/symposium2009.html
朝夕がすっかり寒くなり、僕たちもこんなにくっ付いています。

Byホワイト
最近のコメント