阪神淡路大震災からもう、15年が経とうとしてるんですね
当時、 あ~こ1歳10ヶ月 ま~こ生まれる2ヶ月前で
お腹の中で生存 していたわけで
住んでいたところは、大阪の守口市だったので
今よりずっと震源には近かったですね~~
震度は4だったそうですが、その昔ハス畑だったので
地盤がゆるいってものあって、よく揺れました。
5階建てマンションの4階に暮らしてたのですが、
上にあったものはほとんど落ちましたし、、、
食器棚は、ぐっちゃぐっちゃ ガラスの破片で
赤子を抱えた身重の私どうしようかと思いました。
そういう時に限って 特に勤勉でもない人が
「仕事」に出かけるんですね~~~必要性はないと
思うのですが、、、、主人も嘱託の主人の両親も
何故か出勤したがるんですね?????
正直「あほとちゃうか?」と思いましたね~~~
だって、あの神戸の高速がへし折れた画像を見て
誰が出かけるんじゃ?と思いますよ。
自分の家がぐちゃぐちゃなのに、消防署でも青年団でも
警察関係者でも お役所に勤めているわけでもないのに、
お腹が大きいのに おんぶ紐であ~こを身体にしばりつけ
前も後ろも 重くなって気を失うか ま~こが出るか
みたいな状態で余震に怯えながら
(座らせておくとあ~こが、怖がって泣くので縛っていた)
ガラスの破片を片付けていたら
やっぱり 梅田(大阪の中心)で電車がストップして
戻ってきた姑に嫌がる子どもを預けて、血だらけに
なりながら片付けました。よく 出なかったものです。
引越しを一ヶ月先に控えた 寒い冬の朝のことでした。
その後は、友達の消息がわからず HNKを見つめる毎日
「どうか名前が出ませんように」と祈りつつもみてしまう矛盾
4日たって公共の公衆電話から「やっちゃん 私、元気だし
家族も犬も猫も奇跡的に家もみんな無事なんだけど電気が
あかんから公衆電話やねん。ひとり3件しかかけられへんから
もう、切るね」って
そう、あの高速がへし折れていたところから徒歩10分の
ところに住んでいたのに、、、誰も怪我がなかったという
彼女の隣のおうちは、趣のある平屋の豪邸だったが、
全壊したというみんな外に出ていたので、
怪我はしなかったとか、、、
ま~この学年は、「地震の子」とか言われるそうで
「あの時に生まれた赤ちゃんが、、、」と言われる
あの時には、生まれていなかった ま~こは、
極端に嫌がるのだが、、、、節目節目には思わずには
いられないのだろう~~~
あの時の子どもが 小学生になった、卒業して
中学生になったと報道される
今年、中学卒業するから
ちょっと 話題になるかもしれない。
ちょっとのきっかけでもいいから思い出して
「よかった 今年も生きてる」と実感する。
こどもに「本当に怖かったんやで」と言っても通じないんだけど、思い出せるだけ話してみよう。
でも、、、、悪い母なので 避難袋、、、何年触ってないんだ
こりゃ あかんわ 猫缶も腐ってるかも?

くちゃったのは、食べられないから あたらちいの
いれなちゃい!
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