先日の国芳と同じくらい好きな絵師なのですが、暁斎は国芳の弟子だったと最近になって知りました。
国芳の絵はどちらかと言えば青の使い方が独特ですが、こちらは私の中では赤が鮮烈と言う印象があります。
どちらも多岐に渡るジャンルの素晴らしい作品を残しているのですが、美人画においては暁斎の描く美人のほうが今風と言う感じはあります。
国芳は浮世絵師で、暁斎は狩野派の流れも汲む人なので画風の違いはあって当然なのですが、江戸時代の浮世絵美人は現代では美人とは言い難かったりしませんか?。
平安美人はもっと言い難かったり(笑)。
もっとも美しさや物事のスタンダードも時代と共に変化したりはしますけれど。
たとえば猫に例をとればサイアミーズ。シャムネコですね。
現在のサイアミーズは手足が長くて顔もV字型に近い、シャープなモダンタイプだけれど、第一次ブームの頃は今より丸顔のトラッドタイプです。
第二次がいつ来たのかしりませんが(笑)
そして飼い方のスタンダードも時代で変わったりするので、ブームの頃は「猫は自由に外と行き来して当たり前」だったのかもしれません。
現在のMIX界に何故シャムのようなポイントを持った子が多いのか。
一説にはトラッドスタイルの猫は、今のシャムほど細くはなかったので、フォーリンタイプの体型の日本猫と交尾してポイント柄が生まれると、尻尾さえ長ければ見た目でシャムと判断してしまう人が多かったんだそうです。(諸外国の土着猫は体型が違うのでMIXと判断できたとか。)
それを飼主がシャムだと思って、またはテキトー繁殖屋が純血シャムと偽って子供をうませたり、血統書の無いシャムネコなどと安く売ったりした。
それらを手に入れた人が又、自由にお外と行き来させるので、元々が多産系のシャムの血を引いたMIXが爆発的に増えたのだと言う説を聞いたことがあります。
そして沢山生まれるので飼いきれなくなったり、ポイント柄の出なかった子は捨てる。
捨てられた中から生き残っった、シャム遺伝子を内包した子たちがまたまた交尾を繰り返す中で、ポイント柄のMIXが出てくるので、本来の日本猫にはあり得ないシャム系(本当はシャム柄系だけれど)MIXが存在するのではないかと推測します。
この間、judyさんがコメントに「私たちが子供の頃はそういう子(シャムMIX)はいなかったような気がします。」と、書いてくださいましたが、シャムMIXは見かけませんでしたが、時たま屏の上にお澄まし顔のシャムが乗っていませんでしたか?。
今居る子たちは、お澄ましちゃんの子孫かもしれません。
シャムに限らず真面目に努力してきた人たちの守ってきたものが壊されたり、〇〇の猫種だと信じて可愛がっている人が欺かれるのはなんだか理不尽ですよね。
話を絵に戻しますと、
国芳の絵をリスペクトした人が国芳の弟子になる。
ある猫種に惚れ込んで、それをブリードしている人みたいなものです。
弟子として力をつけて流派の中で頭角を現し、自分の画号を持つ。
ブリードの中で相違工夫をしながら、そのおうちの顔が出来上がりますよね。
暁斎のように別の流派に移り、両方の良さを兼ね備えた独自路線を築く。
新しい品種を産みだし固定させるのは、大変な努力と積み重ねが必要でしょう。
修行もせず絵が上手いだけの人が、全く同じ構図で国芳の模写をする。
素人繁殖で出来上がるのは似て異なるものです。
調子に乗って、国芳の銘をうって売り出したりする。
見る人が見たら似ても似つかず、血統書もなし。
面白がって買う人がいても、なんでも鑑定団で子孫が恥をかくだけ。
あとから泣くのは自分とその猫の子孫です。
見よう見まねで素人繁殖をしても、それは贋作と同じです。
正しい猫の飼い方が広まってなかった時代とは言え、一部の心無い繁殖がそれに拍車をかけ、日本猫のほうが貴重になってしまったのは何とも皮肉なお話です。
外飼いがスタンダードであった時代は、遠い昔です。
今は塀の上には青い目のMIX猫が乗っています。
昔とは比べものにならない位、多くの猫種もいますが、多くの情報も入手できます。きちんとした飼い方の知識はその気になれば本やネットで調べることもできます。
純血種がほしければ、手に入れる敷居も昔ほど高くはないはずです。
テキトーな繁殖でせっせと量産された贋作には、無料・格安以上のリスクと言うオマケもついてくるかもしれないと知ってください。
それでもすでに手に入れた、覚悟の上で手に入れたい方は、途中で投げ出さず一生可愛がってください。
あなたの目の前にいるのは絵に描いた猫ではなく、生きている猫なのですから。
10年後、20年後、塀の上に耳の折れたり足の短い子が並んでいませんように。

こんな風景イヤですよ(笑)。
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