チョットだけ書きたい。なぜなら月がとてもきれいだったから。
自転車でちょっと夕方河津桜のライトアップを見に行ってきた。
満開の河津桜と丸い月。ゆめみたい。
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うちの日めくり
今日は
「東日本大震災の日」となっている
区のゴミ出しカレンダーには、特になんの記述もないけれど。
祭日でもない、祝日でもない
終戦記念日、、それと同じなのか?
でもまだまだ記念日になるほどの時間じゃないって思う
東日本大震災
私は岩手出身ではあるものの
内陸の盛岡出身であり直接の被害はなかった
なおかつ、父も母も震災前になくなった
母は震災の約9ヶ月前、父は震災の11日前に亡くなった。
父の葬儀は3月3日で、もしちょっとでもずれていたら
私たちは猫をおいたまま東京に戻ってこれなかったかも知れない。
びっちゃんは母が亡くなって三ヶ月後に私が東京に連れてきた母の猫。
母の一周忌が震災の年の5月にあった。
その頃には東北新幹線は通常運転を取り戻していた。
新幹線の車窓からは、仙台あたりの街のなかの景色に
青いブルーシートがかけられていたのが見えたくらい、、だったが・・・・。
その日は駅のホームにたくさんの黒い服の人の姿がみえた。
土曜日の日中だというのになぜこんなに黒いネクタイの黒い服のひとがいるのだろう?
ああ、そうか、四十九日だ・・・・。
震災の翌年には、
沿岸の釜石というところに行った。
釜石のホテルに宿泊したときに、震度5の余震が来た。
本当に怖かった。
SLの運転が、釜石線であった。
宿泊していたホテルは朝食がなく、近くの朝食が食べれる食堂に行った。
SLの機関士さんたちと一緒になった。
JRの職員さんに署名をたのまれて署名した。
その翌々年から釜石線でSLが走り始めた。
母の三回忌とかあったりして、なぜか毎年釜石にゆくようになって、
その機会ごとに沿岸に宿泊するようになった。
書きたいことは山ほどあるけど、、、
実際に見なければわからないことって本当にあるんだよ。
昨年不思議なことがあった。
ほとんど他人なのだが
自分がある人の法定相続人ということがおきた。
沿岸のとある町で、土地の登記をしていなかったため
私まで相続人になってしまったということだ。
全部で100人を越える凄い数になっていた。
相続放棄をするつもりだったのだが
一旦相続をして町が買い上げると言う形をとらないと
自分で登記をしなければならなくなって
登記料のほうが高くなるという逆転現象が起きるらしい。
岩手県の職員さんと、町役場の職員さんが二人でやって来た。
まさか自分がそうやって縁があるとは思わなかった。
もう6年もたって?何かの詐欺かなってほんとに思った
いや、なにをかいているのか、おかしなことになっているけど
縁というものは不思議なものだなあって・・・・。
これからどれくらいの縁があるのだろうか?
明日、ちょっとお出掛けしてきます。
とりあえずなんでもいいので祈ってください。お願いします~。
月の光のパワーはチャージしたはずだ!
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